1988年、日本人女性初のプロサックス奏者として、アルバム「GYPSY MOON」でレコードデビューすると、ジャズにR&Bやポップスなどを取り入れた叙情的な音楽が、保守的で男性中心の日本のジャズ界に大きな衝撃を与えた、朝本千可(あさもと ちか)さん。
そんな朝本千可さんは、大学生の時に、留学先のロサンゼルスで初めてジャズに出会うと、サックスプレーヤーのアート・ペッパーさんの音色を聴いてたちまちサックスの虜になり、すぐに、自分でも練習を始めると、その後、ジャズの名門・バークリー音楽院に転入したといいます。
今回は、朝本千可さんの、交換留学生時代からバークリー音楽院時代までをご紹介します。
朝本千可のプロフィール
朝本千可さんは、1960年1月23日生まれ、
大阪府の出身、
学歴は、
南山大学英文科
⇒カリフォルニア・クレアモントカレッジ心理学科
⇒ボストンバークリー音楽院卒業?
だそうです。
朝本千可は交換留学生時代アート・ペッパーのサックスの音色に魅了されサックスを始めていた
朝本千可さんは、1979年、19歳の時、交換留学生としてロスの大学で心理学を専攻していた際、ジャズクラブでアルバイトをしていたそうですが、
そこにライブ出演していたサックスプレーヤーのアート・ペッパーさんのサックスの音色を聴くと、たちまち魅了され、ジャズを始めたくなり、さっそく、サックスを購入したそうです。
朝本千可は21歳の時にバークリー音楽院に合格していた
そこで、朝本千可さんは、音楽大学への入学を考えたそうですが、クラシック専門で子供の頃から音楽をやっていないと音楽大学には行くことができなかったそうで、仕方なく街の音楽教室に通いながら練習したそうです。
そんな中、ボストンにあるジャズの名門バークリー音楽院なら、自身のような経歴でも入学できることを知ったそうで、
入学を目指し、毎日、猛練習に励むと、1981年、21歳の時には、見事、バークリー音楽院に合格し、入学することができたそうで、
朝本千可さんは、
入学できたのはジャズクラブでアルバイトをしていたお陰でした。毎日、一流のアーティストが出演しており、演奏が終わって酔っぱらっている時に「レコメンデーション(推薦状)を書いてほしい」と頼むと、みんな喜んで書いてくれましたからね。
音楽を始めて間もない私でしたが、推薦状だけは一流アーティストの名前がズラリと並んでいました(笑い)。
と、語っています。
朝本千可は20代前半の頃、ジョセフ・アラード教授から特別レッスンを受けるようになっていた
こうして、朝本千可さんは、バークリー音楽院に入学できたのですが・・・
入学してすぐに、朝本千可さんが憧れていたヤン・ガルバレクやデイヴ・リーブマンなど、ジャズのサックスプレーヤーたちの音楽がないことが分かり、がっかりしたそうです。
そんな中、近所のニューイングランド音楽院のジャズ科の発表会を聴き、
まさに私がやりたい音楽はこれだ
と、感動したそうですが、
このニューイングランド音楽院は超名門で、どうしても入ることができず、ある時、ヤン・ガルバレクやデイヴ・リーブマンの恩師でもあるジョセフ・アラード教授が、週1回、レッスンに来ていると情報を耳にすると、
朝本千可さんは、これはもう押しかけるしかないと、レッスンの日を狙ってニューイングランド音楽院に忍び込んだそうです。
すると、結果的には、別の学校ということで、朝本千可さんは、レッスン料を支払わなければならなくなったそうですが、ジョセフ・アラード教授から特別レッスンを受けることができるようになったのだそうです。
(ジョセフ・アラード教授は、ヤン・ガルバレクやデイヴ・リーブマンのような世界的に有名なサックスプレーヤーを世に送り出した人だったのですが、当時はもうかなり高齢だったそうです)
朝本千可が20代前半の頃、ジョセフ・アラード教授のレッスンでは楽器を触らせてもらえなかった
ただ、ジョセフ・アラード教授のレッスンは、朝本千可さんが期待していたものではなかったそうで、まず最初に歯並びを指摘されるほか、哲学的な話が続くなど、楽器を触るレッスンをしてもらえず、
朝本千可さんは、
レッスン料返して
という気持ちでいっぱいだったそうですが、
ジョセフ・アラード教授の意図が、後には理解できたそうで、
朝本千可さんは、
テクニックは後で付いてくるというのが教授の考えで、まずは演奏するための心の在り方、真の意味での綺麗な音色を追求せよということだったのです。
お陰で私なりの音色を持てるようになり、心で吹く演奏ができるようになりました。その時に演奏テクニックだけを追求していれば、私は今でも一流アーティストのコピー演奏ばかりやっていたでしょうね。
と、語っています。
「【画像】朝本千可の若い頃はGypsyMoon!デビューから現在までのアルバムや経歴まとめ!」に続く
1988年、28歳の時、日本初の女性サックス奏者として「Gypsy Moon」でデビューすると、以降、自身のアルバムを制作するほか、アジアを拠点としたプロデュース業で才能を開花させ、 2000年には、元夫の上田正樹さんと …