プライベートでは、オランダ人男性と結婚するも離婚し、一人息子がミュージシャンとして活動しているという、佐藤奈々子(さとう ななこ)さんですが、過去には、ミュージシャンの佐野元春さんと交際していたという噂がありました。

今回は、佐藤奈々子さんの、佐野元春さんとの出会い、佐野元春さんとのエピソード、佐野元春さんとの関係についてご紹介します。

佐藤奈々子

「佐藤奈々子(nanaco)の元夫との離婚理由は?現在は結婚してる?息子は?」からの続き

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佐藤奈々子と佐野元春の出会いは大学の学園祭だった

佐藤奈々子さんは、佐野元春さんとの交際が噂されたことがありました。

実は、佐藤奈々子さんは、慶應義塾大学に進学後、音楽クラブに入ったそうですが、青山学院大学の学園祭を手伝いに行った際、お茶を出したことがきっかけで、出演者だった佐野元春さんと知り合ったそうで、

その後、慶應義塾大学の学園祭に佐野元春さんが出演した際にも、佐藤奈々子さんがお茶を出してあげたことから、

おうちはどこ? じゃあ一緒に帰ろう

という感じで仲良くなったのだそうです。

(佐藤奈々子さんが所属していた音楽クラブは、学園祭で青山学院大学のクラブと姉妹クラブになっていたことから、青山学院大学の学園祭の時に手伝いに行っていたのだそうです)

佐野元春
若い頃の佐野元春さん。

佐藤奈々子は佐野元春からボブ・ディランや歌や詩を書くことを教わっていた

こうして、佐藤奈々子さんは、その後、佐野元春さんから、ボブ・ディランのこと、歌や詩を書くことを教わったそうですが、

佐藤奈々子さんは、3歳から高校まで器械体操のオリンピック選手を目指し、英才教育を受けてきたことから、音楽は映画音楽以外は聴いたことがなく、当然、音楽的な素養も全くなかったそうで、

佐藤奈々子さんは、インタビューで、

映画音楽以外はよく知らなかった。「学生街の喫茶店」って歌が高校の時に流行ってて。でも、「ボブディラン」って何なの?って感じ。何にも知らない人だった。うん、全く。

と、語っています。

(佐藤奈々子さんが所属していた音楽クラブは、真剣に音楽をやっていたわけではなく、みんなで集まって飲んだり遊んだりするようなクラブだったことから、佐藤奈々子さんは音楽に関しては素人同然だったそうです)

佐藤奈々子は佐野元春との共作「綱渡り」がコンテストで決勝に残っていた

その後、佐藤奈々子さんは、翌年の1975年冬から、佐野元春さんと共に音楽活動を始めると、佐野元春さんと「綱渡り」という曲を共作し、

1975年末には、佐藤奈々子さんが、この「綱渡り」で、大学主催の女性シンガーソングライターコンテストに出場すると、決勝まで残ったそうですが、

日本青年館で開催された決勝では、佐野元春さんがバックでギターを弾いてくれたそうで、佐藤奈々子さんは、人前で歌うことが初めてで恥ずかしく、最初のワンコーラスは後ろを向いて歌っていたそうですが、その後、気分が少し落ち着き、なんとか前を向いて歌うことができたのだそうです。

(佐野元春さんは、ちょうどこの頃、一度は解散した自身のバンド「バックレイン元春セクション」を別のメンバーで再度立ち上げようとしていたそうですが、ドラムとベースをプロに引き抜かれて、「バックレイン元春セクション」は自然消滅してしまい、佐藤奈々子さんと音楽活動を始めたのだそうです)

佐藤奈々子は佐野元春が制作に参加したアルバム「Funny Walkin’」で歌手デビューしていた

すると、佐藤奈々子さんは、この「綱渡り」で最優秀作詞賞を受賞したそうで、このことがきっかけで、歌手デビューが決まり、1977年6月25日には、アルバム「Funny Walkin’」で歌手デビューしているのですが、

佐野元春さんには、この「Funny Walkin’」と、2枚目のアルバム「SWEET SWINGIN’」(1977年12月25日発売)の制作を手掛けてもらったのだそうです。

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佐藤奈々子は佐野元春のトリビュート・アルバム「BORDER」のリリースに尽力していた

以降、佐藤奈々子さんと佐野元春さんの共作はもうないのですが、佐藤奈々子さんは、1996年にリリースされた佐野元春さんのトリビュート・アルバム「BORDER」をプロデュースしています。

(企画・制作からアーティストへの交渉まで一切を佐藤奈々子さんが執り行ったそうです)

実は、発売に至るまでには、様々な困難なことがあった中、佐藤奈々子さんは、このトリビュート・アルバム「BORDER」を世に送り出すことに、使命感を燃やし、尽力したそうで、

佐藤奈々子さんは、その理由について、

彼の15年間の音楽の軌跡を振り返り、若きfollowersによる、氏に対するlove&respectから生まれるトリビュートを企画した

と、語っています。

また、佐藤奈々子さんは、この「BORDER」の帯につけられた宣伝コピーに、

虹の上しか歩いちゃいけない。M.LIONが教えてくれた。

と、記しているのですが、

「M.LION」とは、かつて、2人で共作していた頃、佐藤奈々子さんが佐野元春さんにつけた愛称だったそうです。

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佐藤奈々子と佐野元春の関係は?

そんな佐藤奈々子さんは、佐野元春さんとの関係について、

私のほうが(佐野元春さんより)先にデビューしちゃって。でも、彼と遊ぶときはいつも一緒に詞を書いてましたね。

詞を書くだけじゃなくて、ボブ・ディランの「3人の天使」ってお題を作って天使の絵を描いたり。その絵についてこういう感じなんだよ、とか説明したりしながら。

もうひとつ佐野くんの話で面白いのは、とにかくその頃の彼はボブ・ディランだったから。私と出会ったときも嘘をついていたの。

それは、ボブ・ディランがガールフレンドについた嘘とまったく同じだったらしくて、「僕は孤児で、継母にいじめられて日本中を歌って旅しているんだ」っていう。

当時はすごくピュアだったから私は本当に信じちゃって、「なんて可哀想な人なんだろう。じゃあ、もしもつき合って欲しいなんて言われたら、私はこの人と一緒に旅に行くんだぁ?」なんて空想しちゃったり。

それを信じていたのに、お家に行ったら素敵なお母さんがいて。あれ? なんで? お母さんがいないって言ってたのにって。

と、語っており、

佐野元春さんにとって、佐藤奈々子さんは、自身の感性を受け止めてくれて、それに応えてくれる数少ない人だったのかもしれません。

ちなみに、佐野元春さんのデビューアルバム「Back To The Street」では、1曲目から最後まで、恋人との幸せな日々⇒やがて訪れる別離⇒その後の2人、と物語のように展開されているそうですが、これは、佐藤奈々子さんとの関係を歌ったものではないかとの見方もあるようです。

(2人で楽しく過ごしていたのに、佐藤奈々子さんはプロデビューして自分の元から去ってしまったという意味)


ただ、2人が交際していたことを決定づけるものはなく、実際に交際していたかは不明ですが、佐藤奈々子さんが、佐野元春さんの良き理解者であったことは間違いないようです。

お読みいただきありがとうございました

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