1977年、21歳の時、佐野元春さんとの共作アルバム「Funny Walkin’」で歌手デビューすると、その後も、半年に1枚のペースでアルバムをリリースし、
1981年には、野宮真貴さんのデビューアルバム「ピンクの心」のために書き下ろした楽曲「Twiggy Twiggy」が、後に、「ピチカート・ファイヴ(PIZZICATO FIVE)」に使用され、世界的に注目された、佐藤奈々子(さとう ななこ)さん。
今回は、そんな佐藤奈々子さんの若い頃(レコードデビュー)から現在までの代表曲やアルバムほか経歴を時系列でご紹介します。
「佐藤奈々子(nanaco)の生い立ちは?幼少期から体操選手を目指すも高2の時に断念していた!」からの続き
佐藤奈々子は大学ではテニス部に入るもすぐに音楽クラブに移っていた
慶應義塾大学に進学した佐藤奈々子さんは、フリフリのかわいいアンダーコートに憧れ、テニス部に入ったそうですが、その後すぐ、音楽クラブに誘われて音楽クラブに入ったそうです。
とはいえ、みんなで集まって飲んだり遊んだりすることがメインで、真剣に音楽活動をしていた訳ではなかったそうです。
(女の子は佐藤奈々子さん一人だけだったそうです)
佐藤奈々子は18歳の時に佐野元春と知り合い、歌や詩を書くことを教わっていた
そんな中、1974年、18歳の時、青山学院大学の音楽祭を手伝いに行ったそうですが、
青山学院大学の学園祭に出演していた佐野元春さんと知り合い、佐野元春さんから歌や詩を書くことを教わったそうです。
佐藤奈々子は19歳の時に佐野元春との共作「綱渡り」で女性シンガーソングライターコンテストの決勝まで残っていた
こうして、佐藤奈々子さんは、1975年冬から、佐野元春さんと一緒に音楽活動を始めると、2人で「綱渡り」という曲を共作したそうで、
1975年末には、大学主催の女性シンガーソングライターコンテストに出場すると、決勝まで残ったのだそうです。
(決勝は日本青年館で開催されたそうですが、その際には、佐野元春さんとベースの真鍋さんという人が演奏してくれたそうです)
佐藤奈々子は21歳の時に佐野元春との共作アルバム「Funny Walkin’」で歌手デビュー
また、佐藤奈々子さんは、この「綱渡り」で最優秀作詞賞を受賞したそうで、
このことがきっかけとなり、1977年6月、21歳の時には、佐野元春さんとの共作アルバム「Funny Walkin’」で歌手デビューを果たしているのですが、
実は、佐藤奈々子さんは、歌手になろうとは夢にも思っていなかったそうで、
歌手なんかなるつもりなかったから。その色んなレコード会社が探しに来てたわけじゃない?その頃って。
でも、私がそのレコード作るか何か言われても、最初はお断りしてたんだけど。もう諦めない訳。それで、「じゃあやってみてもいいかな?」って思って。それがデビュー。
と、語っています。
佐藤奈々子は22歳~24歳までアルバム「SWEET SWINGIN’」「Pillow Talk」「Kissing Fish」をリリースしていた
そんな佐藤奈々子さんは、以降、
- 1977年「SWEET SWINGIN’」
- 1978年「Pillow Talk」
- 1979年「Kissing Fish」
と、半年に1枚のペースでアルバムをリリースしています。
佐藤奈々子は24歳の時にはニューウエイブサウンドのアルバム「SPY」をリリース
その後、佐藤奈々子さんは、1980年、24歳の時には、岩倉健二さん、戸田吉則さん、永田裕さんらと、ニュー・ウェイヴ・バンド「SPY」を結成し、アルバム「SPY」(「ムーンライダーズ」の加藤和彦さんによるプロデュース)をリリースしているのですが、
実は、この頃、ニューウエイブ(パンク)が流行し始め、佐藤奈々子さんもニューウエイブ的な音楽をやってみたいと思って始めたそうですが、後に、自分には似合っていなかったと思ったそうです。
佐藤奈々子は25歳の時に野宮真貴へ提供した「Twiggy Twiggy」(ピチカート・ファイヴバージョン)が世界的に注目されていた
そして、1981年には、野宮真貴さんのデビューアルバム「ピンクの心」のために「Twiggy Twiggy」を書き下ろしているのですが、
この「Twiggy Twiggy」は、後に、「ピチカート・ファイヴ(PIZZICATO FIVE)」に「トゥイギー・トゥイギー~トゥイギー対ジェイムズ・ボンド」として使われると、
ロバート・アルトマン監督の映画「プレタポルテ」や、映画「チャーリーズ・エンジェル」でも使用され世界的に注目されたのでした。
(佐藤奈々子さんは、2014年には、「Twiggy Twiggy」を配信限定シングルとしてiTunes Storeなどでリリースしています)
佐藤奈々子は24歳の時に写真に夢中になっていた
そんな中、あるムービーのカメラマンが、写真のことを、
押せば写る
と、言っているのを聞き、
えっ、押せば写るの?
と、この一言でたちまち写真に興味を持つようになったそうで、
(佐藤奈々子さんは、3歳から高校まで、器械体操のオリンピック選手を目指して英才教育を受けていたことから、体操に関する事以外はほとんど何もしたことがなく、また、知らなかったそうで、インスタントカメラも撮ったことがなかったそうです)
(佐藤奈々子さんいわく)弾けもしないのに持っていたきれいなベースを売ってカメラを買い、ジャケットを撮ってくれたカメラマンにフィルムを入れるところから教えてもらって写真を撮り始めると、
楽しくて楽してくたまらず、朝から晩まで夢中で写真を撮るようになったのだそうです。
佐藤奈々子は24歳頃から写真家として活動を開始していた
こうして、佐藤奈々子さんは、写真を撮ることが好きで好きでたまらず、一生懸命、写真を撮っていたそうですが、
やがて、
歌っていた人が写真を撮り始めた
と、興味を持たれるようになり、写真の仕事が舞い込むようになったそうで、写真家として活動を始めたそうです。
(雑誌ほか、Coccoさんや細野晴臣さんのCDジャケットなども手掛けています)
佐藤奈々子は37歳の時に15年ぶりのアルバム「Fear and loving」をリリースしていた
そんな佐藤奈々子さんは、1987年から1992年までパリで暮らしていたそうですが、
帰国後の1993年には、アルバム「SPY」をリリースして以来、実に15年ぶりとなる音楽活動を再開し、アルバム「Fear and loving」をリリースしています。
佐藤奈々子の主なアルバム一覧
それでは、ここで、佐藤奈々子さんの主なアルバムをご紹介しましょう。
- 1977年「Funny Walkin’」
- 1977年「SWEET SWINGIN’」
- 1978年「Pillow Talk」
- 1979年「Kissing Fish」
- 1980年「SPY」
- 1991年「佐藤奈々子」※ベスト・アルバム
- 1994年「Tears of ANGEL」※ベスト・アルバム
- 1995年「Fear and loving」
- 1996年「Love is a Drug」※「Nanaco」名義。UK盤1~6曲目までのミニ・アルバム。
- 1999年「Luminus love in 23」
- 2001年「sisters on the riverbed」
- 2013年「old angel」※「佐藤奈々子+カメラ=万年筆」名義。
- 2018年「Golden Remedy」※「Nanaco + Riki Hidaka」名義。
- 2022年「Radio Moon and Roses 1979Hz」※「ムーンライダーズ+佐藤奈々子」名義。ライブアルバム
など、数多くのアルバムをリリースしています。
「佐藤奈々子(nanaco)の元夫との離婚理由は?現在は結婚してる?息子は?」に続く
大学在学中の1977年6月、アルバム「Funny Walkin’」で歌手デビューすると、その後、写真家に転向し、1993年には、音楽活動も再開した、佐藤奈々子(さとう ななこ)さんですが、プライベートでは、結婚を1度と離 …