1988年、日本初の女性サックス奏者として「Gypsy Moon」でデビューすると、その後は、アジアを中心に、主にプロデュース業で才能を発揮した、朝本千可(あさもと ちか)さん。
そんな朝本千可さんは、プライベートでは、結婚を2回、離婚を1回しています。
今回は、朝本千可さんの、元夫・上田正樹さんとの馴れ初めや離婚理由、再婚相手、娘の上田郁代さんについてご紹介します。
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朝本千可と上田正樹の馴れ初めは?
朝本千可さんは、1988年、歌手の上田正樹さんと結婚しています。
実は、朝本千可さんは、上田正樹さんとは、札幌で行われた音楽イベントでの共演で知り合ったそうで、
このイベントは、かまやつひろしさんと森山良子さんがメインで、ゲスト出演だった上田正樹さんは、楽曲の間奏でサックスを演奏することになっていたそうですが、
この時、上田正樹さんが間違って、次のステージに出る朝本千可さんのサックスを持っていってしまったそうで、上田正樹さんは、途中で気付いたものの、そのまま吹き続け、ステージ終了後に朝本千可さんに謝ったそうで、このことがきっかけとなり、交際に発展したのだそうです。
そして、2ヶ月の交際の末、朝本千可さんがプロポーズし、結婚に至ったのだそうです。
朝本千可は元・夫上田正樹のアジア進出を強力にサポートしていた
結婚後、朝本千可さんは、事務所にマネージメント料を取られるのは損だから独立しようと、上田正樹さんに提案すると、上田正樹さんも同意し、2人で個人事務所を設立したそうです。
また、朝本千可さんは、海外にもコネクションを持っていたことから、その人脈を使い、韓国で上田正樹さんのアルバム「HANDS OF TIME」を制作して大ヒットさせると、台湾やインドネシアなど、ほかのアジアの国々にも進出し、
最終的には、インドネシア・バリ島に別荘を購入し、本格的に活動の拠点を海外に移しています。
朝本千可と上田正樹の3つの離婚理由
そんな朝本千可さんと上田正樹さんですが、2006年には離婚しています。
離婚理由①朝本千可が上田正樹へのオファーを勝手に断っていた
というのも、朝本千可さんは、2007年、上田正樹さんとインドネシアのアーティストで歌姫と呼ばれ人気絶頂だったREZA(レザ)さんとのデュエット曲「Biar Menjadi Kenangan」をプロデュースすると、
この曲は、現地で、17週連続ヒットチャートのトップを独占する大ヒットを記録し、一躍、上田正樹さんは、”インドネシアで一番有名な日本人アーティスト”となったのですが、
朝本千可さんは、その後、上田正樹さんのもとに来ていたオファーを、上田正樹さんの了承を得ずにすべて無断で断っており、そこから夫婦の仲に亀裂が入り始めたようで、
上田正樹さんは、このことについて、
マネジメントとかカネのこととか、すべて彼女に任せていたからね。勝手に断っていたなんて、まったく知りませんでした。彼女にしてみれば、カネにならないインドネシアよりも、日本での営業を入れた方がいいという判断だったんだろうけど。
でも、それじゃ、自分のやりたいことをやりたいと思って独立した意味がない。以前の所属事務所にいるのと、まったく変わりがないわけです。
普通だったら、また事務所を替わればいいだけの話なんだけど、厄介だったのは相手が妻兼マネジャー兼ミュージシャンだったこと。結婚した当初から、あれっ? ちょっと違うなと思うことはあったよ。
でも、その頃は、韓国でアルバムを出したときのように、俺を前に進ませるために、時には背中を押し、時には面倒なことから守ってくれているんだと思っていました。
と、語っています。
(上田正樹さんは、1982年に、「悲しい色やね」をリリースすると、以降、歌手としての方向性を見つけることができず、悩んでいたそうで、そんな中での「Biar Menjadi Kenangan」の大ヒットで、海外でもやっていけるという自信がつき、売れる売れないは関係なく、インドネシアのミュージシャンたちとまた一緒に仕事がしたいと思っていたそうです)
離婚理由②朝本千可が現金を隠し持っていた
また、海外に進出していた2000年頃、朝本千可さんと上田正樹さんは、日本では、(田舎で遠慮なく音を出せるという理由から)三浦半島に住んでいたそうですが、家では、朝本千可さんは、上田正樹さんに、お酒を飲んではいけないと言い、ウイスキーを隠していたそうで、
上田正樹さんが、朝本千可さんがいない間に家の中を探し回ると、段ボール箱が出てきたそうで、不思議に思い、開けてみると、上田正樹さんが知らない札束がごっそり入っていたのだそうです。
(上田正樹さんは、いけないものを見てしまった気持ちになり、少しだけ懐に入れて、そっと元に戻しておいたそうです)
離婚理由③朝本千可は上田正樹にミュージシャンとしての才能を認めるよう要求していた
そして、上田正樹さんによると、離婚を決意した決定的な理由は、
朝本千可さんに、
私をうまいって言って
と、言われたことだったといいます。
実は、朝本千可さんは、サックス奏者としての仕事がないため、プロデュース業をするようになったそうで、
上田正樹さんによると、その演奏はお世辞にもうまいとは言えず、そんな中、ミュージシャンとしての才能も認めろと言われたことに、何かがぷつんと切れたのを感じたのだそうです。
さらに、上田正樹さんによると、離婚話になった時、朝本千可さんは、仏壇などを投げつけたそうで、ここで、上田正樹さんは、(朝本千可さんの行動が早く、人脈が広いことは評価していたものの)「完全に終わった」と思ったのだそうです。
朝本千可は離婚裁判でギャラの未払い2000万円ほか総額6000万円の借金をしていたことが判明していた
しかも、上田正樹さんによると、離婚は離婚届を出すだけでは終わず、裁判となったそうですが、
その離婚裁判の際、(上田正樹さんが朝本千可さんに実印を預けていたことから)会社名義の借金が約1500万円、手伝ってくれたミュージシャンたちへのギャラの未払いも約2000万円あったことが判明したそうで、結局、総額6000万円くらいの借金があったことが分かったのだそうです。
ちなみに、上田正樹さんは、実印を朝本千可さんに預けていた自分にも責任があると思い、バリと三浦半島の家は朝本千可さんにあげ、借金もコツコツと返したとのことでした。
(離婚理由について、上田正樹さんが創価学会の会員のため、宗教上の理由によるものとの話もありますが、真偽は不明です)
朝本千可の再婚相手はバリ在住の日本人画家
ところで、朝本千可さんは、2008年1月、バリ在住の55歳の日本人画家と再婚しています。
朝本千可さんは、2008年8月14日、都内でアルバム「Passion」の発売記念イベントを行った際、自ら再婚したことを明かしており、
10年くらい友達だった人。残りの人生をリラックスして過ごせる人がいたらいいなって思っていた。ラブラブかな
と、幸せいっぱいに語っています。
朝本千可の娘は舞台女優の上田郁代
ちなみに、朝本千可さんと元夫・上田正樹さんの間には、1976年4月28日に娘が1人誕生しており、舞台女優の上田郁代さんです。
上田郁代さんは、2015年11月、「劇団PIS★TOL」の旗揚げに参加すると、以降、仲村大輔さん、川又咲さん、五十嵐山人さん、本倉さつきさんと共に公演などを中心に活動しており、
プライベートでは、2011年9月、俳優・殺陣役者の水野大さんと結婚し、娘さんと息子さんが一人ずついるとのことです。
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