緒形拳の死因は?若い頃は?大河ドラマ太閤記秀吉役でブレイク!弁慶も!

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1958年、「新国劇」に入団後、看板俳優の島田正吾さんに見出され、1960年「遠い一つの道」で、舞台、映画ともにデビューされた、緒形拳(おがた けん)さん。その後、1965年のNHK大河ドラマ「太閤記」で一躍人気俳優になられると、以降、数多くの映画、テレビドラマに出演。その演技は高く評価され、名俳優の地位を確立されています。




プロフィール!


緒形さんは、1937年7月20日生まれ、
東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)のご出身です。

身長173センチ、
体重70キロ、

血液型はB型、

出身高校は、
東京都立竹早高等学校、

趣味は、
絵手紙、水墨画、

本名は、
緒形明伸(おがた あきのぶ)、

そして、もともとの芸名は、
緒形拳(おがた こぶし)だったそうです!


「新国劇」へ入団


緒形さんは、高校在学中、
辰巳柳太郎さんの舞台「王将」に感銘を受けると、

高校卒業後の1958年、
看板スターだった辰巳さんに、
弟子にしてもらおうと新国劇に入団。

辰巳さんの付き人となって、
修練を積まれるのですが、

緒形さんの才能を高く評価したのは、
師匠の辰巳さんではなく、

新国劇のもう一人の二枚目看板スター、
島田正吾さんだったそうで、

1960年、緒形さんは、島田さんから
舞台「遠い一つの道」で、
主役のボクサー、白木保役に抜擢されると、

同年、映画版でも、
同役を演じられ、映画デビュー。
(島田さんとも共演されています)


「遠い一つの道」より。緒形さんと島田正吾さん。

1961年には、「新国劇アワー」で、
テレビドラマデビューも果たされ、

以降、「新国劇」の活動と並行して、
映画、テレビドラマに出演し、
着実にキャリアを積んでいかれたのでした。


「太閤記」で一躍スターダムに


そして、1965年には、
NHK大河ドラマ「太閤記」で、
主役の豊臣秀吉に抜擢!

(「新国劇にサルに似たヤツがいる」とのうわさを、
 大河ドラマの制作スタッフが聞きつけての抜擢だったそうです♪)

すると、緒形さん演じる秀吉は視聴者を魅了し、
一躍、スターダムに。


「太閤記」より。

さらに、翌年の1966年には、
NHK大河ドラマ「源義経」で、
準主役の弁慶役を演じ、


「源義経」より。緒形さんと七代目尾上菊五郎
(当時は四代目尾上菊之助)さん。


その人気を不動のものにされたのでした。


「新国劇」退団~テレビ・映画で活躍


また、この頃、緒形さんは、
「新国劇」の次期後継者として、
大きく期待されていたのですが、

テレビ、映画の仕事が忙しくなったせいか、
1968年には、「新国劇」を退団。

すると、1972年~1973年には、
テレビドラマ「必殺仕掛人」での藤枝梅安役が大当たり。


「必殺仕掛人」より。
(左から)緒形さん、山村聡さん、林与一さん。


1973年には、
劇場版「必殺仕掛人・梅安蟻地獄」」

1974年には、
劇場版「必殺仕掛人・春雪仕掛針」

にも出演されています。


数々の映画賞を受賞


そして、その後も、
数々の作品に出演された緒形さんは、

1978年には、
映画「鬼畜」で、

妻に頭が上がらず、愛人との間にできた子どもたちを、
1人づつ殺していこうとする、情けない主人公を演じ、

「キネマ旬報賞」(主演男優賞)
「毎日映画コンクール」(男優演技賞)
「ブルーリボン賞」(主演男優賞)


「鬼畜」より。

1979年には、
映画「復讐するは我にあり」で、
残忍な殺人鬼を演じ、

「日本アカデミー賞」
(優秀主演男優賞(最優秀主演男優賞ノミネート))

1983年には、
映画「楢山節考」で、

年老いた母を山に捨てなければならない、
息子の揺れ動く気持ちを見事に表現し、

「ブルーリボン賞」(主演男優賞)
「毎日映画コンクール」(男優主演賞)
「日本アカデミー賞」(最優秀主演男優賞)


「楢山節考」より。緒形さんと坂本スミ子さん。

1986年には、「火宅の人」で、
「日本アカデミー賞」(最優秀主演男優賞)

ほか、数多くの作品で映画賞を受賞。
(日本アカデミー賞は、最優秀主演男優賞3回、優秀賞9回)

また、1999年に、緒形さんが、
菊を咲かせることに情熱を傾ける主人公を生々しく演じた、
「あつもの」が「ベノデ国際映画祭」グランプリ。

2006年に、同じく、緒形さんが、
妻を亡くし、人生に対する贖罪の旅に出る主人公を演じた、
「長い散歩」「モントリオール国際映画祭」グランプリ。


「長い散歩」より。杉浦花菜さんと緒形さん。

と、国外での作品の評価にも、
大きく貢献されたのでした。


死去


しかし、そんな緒形さんも、
2000年頃から「慢性肝炎」を患われると、

その後、「肝硬変」になり、
2003年頃には、「肝癌」に進行。

投薬治療や食餌療法を受けながら、
病のことは伏せて、俳優活動をされていたのですが、

2008年10月4日、
自宅で体調が急変し、病院に運ばれると、
なんと、肝臓が破裂していたとのことで、

緊急手術を受けられるも、その甲斐なく、
翌日の10月5日に他界されたのでした。


親友津川雅彦の手を取り・・・


ちなみに、緒形さんは、
親友で俳優の津川雅彦さんの手を握り、

お前身体大事にしろよ! 良い映画沢山創ってくれよな!
治ったら、うなぎ喰いに行こうな、白焼きをな。

と、おっしゃったそうですが、

その4時間後に、
静かに息を引き取られたそうで、

津川さんは、その最期を、

歌舞伎役者のように、虚空を睨み付けながら、
静かに、静かに、息を引き取った!

実に安らかに、全く苦しむ様子も見せず、
名優らしい! カッコいい! 立派な最後だった!
俺もあんな死に方したいと、本気で思えた!

と、ブログに綴っておられました。

さて、いかがでしたでしょうか?

緒形さんは、2006年に、
新国劇の名作「白野弁十郎」をもとにした、
「白野-シラノ-」を一人芝居で上演されているのですが、

実は、「新国劇」退団を申し出られた際、
師と仰ぐ島田正吾さんが、

「やめてもいいが、ここにいればいいんだよ」

と、父親のように愛情深くおっしゃったそうで、

そんな島田さんが、80歳を過ぎてから、
新国劇の名作を一人芝居で次々と演じおられたのを、
引き継ぐお気持ちだったのかもしれません。

今頃は天国で、2人の師匠と、
お芝居をされていることでしょうね♪

ご冥福をお祈り致します。



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