萬屋錦之介の家系は?死因は?美空ひばりと?宮本武蔵や子連れ狼に出演!


1936年、3歳で歌舞伎の舞台でデビューし、その後、映画界に転身。1954年「ひよどり草紙」で映画デビューされた、萬屋錦之介(よろずや きんのすけ)さん。以降、冒険時代活劇に数多く出演し、映画スターの地位を確立。1966年にはテレビ業界へ進出されています。

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プロフィール!

錦之介さんは、1932年11月20日生まれ、
京都府京都市中京区のご出身です。

身長は163センチ、

本名は、
小川錦一(おがわ きんいち)、

旧芸名は、
中村錦之助(なかむら きんのすけ)、

だそうです。

歌舞伎役者として

錦之介さんは、歌舞伎役者の家に生まれ育ち、1936年11月、3歳の時、「中村錦之助」として、「巌島招桧扇(いつくしままねくひおうぎ)」で初舞台を踏まれると、10代の頃は、女形で頭角を現されます。

そして、1953年、21歳頃からは、立ち役(男役)に転身し、その芸の熱心さが評判となるのですが、すでに二人のお兄さんが、歌舞伎役者として成功していたため、錦之介さんには、なかなか、良い役が回ってこなかったそうです。

美空ひばりにスカウトされる

そんな錦之助さんは、1953年11月、歌舞伎の舞台「明治零年」に、新選組隊士のひとりとして出演されると、

映画の相手役を探していた、美空ひばりさんと美空さんのお母さんの目に留まり、美空さん所属の「新芸プロ」からスカウトされます。

すると、錦之介さんは、

古い封建的な世界にいるより、門閥も何もない、ただ力だけで伸びていける、映画の世界のほうがとても魅力的だ。歌舞伎の世界を抜け出して、何かやってみたいと思っていた。

と、無条件でこのスカウトを承諾。

ただ、お父さんの三代目中村時蔵さんは大反対し、

中途半端はいけない。映画界に行くなら歌舞伎を辞めて行きなさい。もし映画で失敗しても歌舞伎に戻ることは許さない。

と、錦之介さんに決断を迫られたそうで、錦之介さんは、歌舞伎を辞めることを決意されたのでした。

「笛吹童子」「里見八犬伝」でブレイク!

こうして、1954年2月、映画界に転向された錦之介さんは、「新芸プロ」に所属し、「ひよどり草紙」で美空さんの相手役として映画デビュー。

翌月の3月には、「東映」と専属契約を結ばれると、東映映画「笛吹童子」で、笛吹童子こと菊丸役を演じ、ゴールデンウィークに封切られた映画は、3週連続公開され、たちまち大ヒットを記録!


「笛吹童子」より。錦之助さんと美山黎子さん。

そして、続く、映画「里見八犬伝」は、「笛吹童子」を上回る大ヒットを記録。錦之介さんは、一躍、スターダムへと駆け上ったのでした。


「里見八犬伝」

以降、錦之介さんは、

1956年には15本、
1957年には12本、
1958年には13本と、

殺人的なスケジュールをこなされ、時代劇スターとしての地位を確立。

いずれも、商業主義的に量産された映画への出演でしたが、持って生まれた華やかさや、演技に対する感の鋭さ、研究熱心さから、どんな役でも周囲の期待以上に演じきられたのでした。

「宮本武蔵」

また、錦之介さんは、1961年、映画「宮本武蔵」で、主人公の武蔵役を演じられると、人気を博し、映画はシリーズ化。

1962年「般若坂の決闘」
1963年「二刀流開眼」
1964年「一乗寺の決闘」
1965年「巌流島の決闘」


「巌流島の決闘」より。

と、年1作のペースで制作されています。

(ちなみに、錦之介さんは、このシリーズで男の凄まじい生き方を熱演。特に、「巌流島の決闘」での鬼気迫る演技や圧倒的な存在感は、時代を超えて、今もなおファンを魅了しています。)

東映を退社、テレビ業界に進出

そんな錦之介さんは、1965年、「東映俳優労働組合」の代表となられると、

「俳優の立場を守る」
「映画づくりの姿勢をただす」
「契約制度の安定をはかる」

の3点を東映に申し入れるも拒否されます。

そして、これらの活動により、東映側と軋轢(あつれき)が生じ、錦之介さんは、翌年の1966年、東映を退社することとなってしまったのでした。

ただ、映画界が衰退してきたこともあり、錦之介さんは、他の映画会社ではなく、テレビ業界へ転身。

1966年「暗闇の丑松」で、テレビドラマデビューすると、

同年「真田幸村」
1968年「江戸一番の大泥棒」
1969年「魔像十七の首」
1971年「大忠臣蔵」


「真田幸村」より。

1972年「さすらいの狼」
1973年~1976年「子連れ狼」
1974年~1977年「破れ傘刀舟悪人狩り」
1975年「長崎犯科帳」


「子連れ狼」より。

1977年「破れ奉行」
1978年~1979年「破れ新九郎」
1980年「鬼平犯科帳」
1981年「宿命剣 鬼走り」


「鬼平犯科帳」より。

など、次々と時代劇に出演され、人気を博したのでした。

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晩年~死去~

ところが、1982年には、錦之介さんの個人事務所、「中村プロダクション」が倒産してしまい、13億円という莫大な借金を抱えます。

そして、今度は、錦之介さんが体調を崩して入院。「重症筋無力症」と診断され、胸腺腫摘出手術を受けられることとなったのでした。

錦之介さんは、その後、入退院を繰り返しながら少しずつ回復し、ついには「重症筋無力症」を克服されるのですが、1996年、「咽頭癌」に罹患。翌年の1997年には、「肺炎」のため、他界されたのでした。

さて、いかがでしたでしょうか?

まだ、日本に娯楽が少なかった時代、冒険活劇スターとして、日本人に夢とときめきを与え続けた錦之介さん。

そんな錦之介さんの素顔は、気さくで明るく豪快で、俳優仲間だけではなく、スタッフからも慕われていたそうで、まさに、映画のヒーローそのもの。

また、労働組合の代表として、俳優仲間のために戦っておられたことも、錦之介さんのお人柄を表していますね。

今では、活劇スターというジャンルさえなくなってしまいましたが、これを機会に、銀幕の中で、今もなお光り輝く錦之介さんを、ビデオで鑑賞されてはいかがでしょう♪

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