1980年に、つかこうへいさんの劇団事務所に入団し、つかさんの運転手をしながら演技のキャリアを積まれた、酒井敏也(さかい としや)さん。現在では、数多くのテレビドラマや映画に出演し、小柄でベビーフェイス、甲高い声、という強い個性で存在感を放たれています。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

酒井さんは、1959年5月30日生まれ、
岐阜県土岐市のご出身、
(実家は「丼」を作る製陶業をされていたそうです。)

身長165センチ、
体重56キロ、

血液型はO型、

学歴は、
岐阜県立多治見工業高校窯業科卒業、

特技は、粘土細工、

ちなみに、酒井敏也は本名です。

家業が廃業

酒井さんの実家は、
製陶業を営んでおられたため、

酒井さんは、将来、家業を継ぐつもりで、
工業高校に進学されたのですが、

酒井さんが高校2年生の時、
家業が廃業。

目標を見失った酒井さんは、
学校に求人が多くきていた自動車ディーラーに、
なんとなく就職されたのでした。

高校時代に演劇に目覚めるも・・・

そんな酒井さんは、実は、高校時代、
唯一、女子が多いクラブという理由から、
演劇部に入部されていたのですが、

(工業高校のため、女子の数は、
 かなり少なかったそうです。)

高校3年生の時、卒業を前に、
演劇コンテストに向けて真面目に稽古にはげみ、

それまでの人生で一度も感じることがないほどの、
達成感を感じられたそうで、

そんな余韻が残る中、
NHK教育テレビで放送された、
「若い広場~ぼくらにとって“戦争”はいま」
という、つかこうへいさんのお芝居を観て、
感銘を受けられたのだとか。

当時はビデオがなかったため、再放送の音声を、
カセットテープに録音して繰り返し聞き、
主役だった風間杜夫さんの真似をされたそうで、

その時、

「役者になりたい」

という気持ちが芽生えたそうです。

ただ、どうしたら役者になれるのか分からず、
とりあえず就職したのが、
自動車ディーラーだったのでした。

つかこうへいに夢中に

酒井さんは、自動車ディーラーでは、
整備の仕事をされていたそうですが、

頭の中は、上京して、
つかこうへいさんの劇団に入りたい、
ということで、一杯だったそうで、

就職後まもなく、つかさんのお芝居、
「熱海殺人事件」を観るために上京。


「熱海殺人事件(1980)」より。(左から)風間杜夫さん、
平田満さん、加藤健一さん、井上加奈子さん。

それからも、何度か上京されたそうですが、

「どうしてもつかさんの劇団に入りたい」

と思うようになったそうで、

酒井さんは、つかさんの劇団事務所に電話をかけ、
劇団に入れてくれるように頼まれると、

「そのうちオーディションがあるのでその時に」

との返事をもらったのでした。

バイトをしながらオーディション待ちの生活

それを聞いた酒井さんは、1979年12月、
オーディションの日程もまだ決まっていないのに、
すぐに会社に辞表を提出。

翌年の1980年1月いっぱいで退職されると、
2月からはアルバイトをしながら、
ただただ、オーディションを待たれたのだとか。

(後から知った話として、酒井さんが電話された3日くらい前に、
 つかこうへい劇団では、そろそろ新しい劇団員を入れようと
 検討されていたそうですが、すぐに、というわけではなかったそうです。)

そして、酒井さんは、オーディションの告知は、
雑誌「ぴあ」の欄外に載ると考えていたのですが、

酒井さんの住んでいる町の本屋さんには、
「ぴあ」が置いていなかったため、

酒井さんは、定期購読を申し込み、
毎回届くたびに、ページの欄外の文字を、
隅々まで探されたのだそうです。

つかこうへい劇団へ入団

そして、7月になり、ついに、
つかさんの新作「蒲田行進曲」のオーディションが発表に。

酒井さんは、書類と、
セリフを読んだカセットテープを送られると、

数日後、つかさんの事務所から、
電話をかけるようにとの手紙が届いたそうで、

酒井さんは、慌てて、
そして、緊張しながら電話をかけられると、

「もしもし」

と言っただけで、

電話受付の人が、つかさんに電話を回してくれ、
つかさんご本人から合格が告げられたのだそうです。

ちなみに、合格の理由は、
酒井さんの独特な声だったそうで、
事務所中で評価されていたのだとか。


「蒲田行進曲」より。(左から)酒井さん、石丸謙二郎さん、
萩原流行さん、平田満さん、長谷川康夫さん。

運転手から秘蔵っ子に

こうして、酒井さんは、
1980年8月に上京されると、
3年間、つかさんの運転手をされるのですが、

その間、つかさんに、
大変かわいがられたそうで、

「つかこうへいの秘蔵っ子」

と、呼ばれるほどに。

酒井さんは、つかさんとの思い出について、

もともと自動車会社にいたことから、
入団後はつかさんの運転手に抜擢(ばってき)され、
3年間運転手をしていました。

その間のつかさんは新作の芝居を書くほかに、
直木賞の受賞もあり、本当に多忙で。

後半は僕も眠る暇がなかったけど、
憧れていたつかさんと、寝る時間以外常に一緒だったという、
今考えると本当に宝物のような日々でしたね。

つかさんにはいろいろなことを教えていただき、
特に芝居では「酒井は声を張るな」と自然な演技を求められ、
「今の自分と生きる哲学を見せろ」と言ってくれました。

当時の僕には理解できないことや、
周囲に評価されないことも多かったですが、
「酒井は時間が解決してくれる」と言ってくださいました。

それは年を重ねるにつれ、いい仕事に恵まれ、
個性を評価していただけていることで、
本当にその通りだったと実感しています。

と、語っておられました。

時間が解決してくれる

ちなみに、

「酒井は時間が解決してくれる」

を実感されたものには、

酒井さんが30代の頃、テレビドラマで、
ヤクザ役を演じられた際、

「殺すぞ、コラ!」

というセリフが言えず、
何度もNGを出していたのが、

その後の長い人生の中で、
人に殺意を感じることを何度も経験し、

年を重ねた今では、
言うことができるようになったそうで、

つかさんは、酒井さんが、このように、
時間とともに、役者として花開くことを、
見通していらっしゃったのですね。

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結婚は?

最後に、酒井さんの、
気になるプライベートですが、

酒井さんは、1994年、
35歳の時に結婚されています。

ただ、2004年、45歳の時、
結婚10年目で離婚。

酒井さんは、2004年、バラエティ番組、
「踊る踊る!さんま御殿!!スペシャル」
に出演された際、

ちょっと離婚しちゃって。
ほんとわがままなんですよ、僕が。

と、離婚されたことと、その理由を告白されており、
以降、酒井さんは独身のようです。

(ちなみに、婚姻中は、奥さんがコーディネイトした衣装で、
 番組に出演されるなど、とても仲睦まじご様子だったそうです。)

さて、いかがでしたでしょうか?

近年は、個性的なキャラを活かし、
バラエティ番組にも積極的に出演されている酒井さん。

これからも、唯一無二のキャラで、
いい味、期待しています!!

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