少し回り道をしながらも、見事、少年時代の夢だった喜劇役者になった、小松政夫(こまつ まさお)さん。今回は、そんな小松さんのご家族や、近況についてご紹介します。
「小松政夫は昔タモリとコンビで「笑っていいとも」の司会オファーを受けていた!」からの続き
妻は?息子は?
小松さんは、1976年、34歳の時に、朋子さんという一般の女性と結婚されています。
お二人がいつ、どのようなことがきっかっけで知り合われたのかは分かりませんでしたが、小松さんが一目惚れして交際に発展。結婚に至ったそうです。
朋子さんは服飾デザインを学び、ハワイに留学されていたこともあったそうで、小松さんは、着るものはすべて、奥さんの朋子さんに任せられており、「小松の親分」の衣装も、朋子さんのコーディネートによるものだったとか。
小松さんの結婚式より。(1976年)小松さん&奥さん(前列)と仲人の植木等さん(後列)。植木さんが仲人をされるのは極めて珍しいことだったそうです。
そんな小松さんと奥さんの間には、1979年に息子さんが誕生しているようですが、情報がなく、詳しいことは分かりませんでした。
結婚後も昔ながらの芸人の様に毎晩飲み歩いていた
ちなみに、小松さんは、ある時、朋子さんに、
俺は一生懸命やってきたのに なんで金がないんだ?
と、言い、
朋子さんに、
あんたが全部飲んじゃったからよ
と、言われたことがあったそうですが、
小松さんも、
それはわかりますけどね。私が独立して結構売れた後、植木に「ちょっと家に来い」って呼び出しを食らったときに「お前は何だ、豪勢な家賃払って毎晩飲んだくれているそうじゃないか」って言われたこともありました。
植木は質素で謙虚、酒もばくちも夜の遊びも一切やらず、家庭を大事にする人でしたから。
と、認めており、結婚後も昔ながらの芸人の様に、豪快な生活を送られていたようです。
自宅付近の東京都世田谷区で接触事故
ところで、小松さんは、2020年6月11日の午後、東京都世田谷区成城で、車の運転中に接触事故を起こしていたことが、6月12日に報じられています。
小松さんは、自宅近所にある眼鏡店に一人で車を運転して出かけ、その帰り道に、見通しの悪い市街地の狭い道路の交差点で一時停止した後、発進すると、右側から来た車と接触したそうです。
ただ、現場は、市街地の狭い道路だったため、スピードは出ておらず、双方ともにケガはなく、車にも目立つ傷はなかったとのことでした。
免許返納
そこで、週刊誌「女性セブン」の記者が真相を聞くべく、小松さんの奥さんを直撃取材すると、
奥さんは、
夫は運転が上手で、乗り心地もよかったんです。それでも、もう年なので最近はマネージャーに運転を任せることが多かったのですが、そのときだけは「近所だから」と…
今回の事故では、夫は標識を見落としてもいないし、一時停止もしてルールは守っていたそうです。夫は「相手が急に出てきたから」と話していました。とにかく、お互い怪我もなく、物損だけだったのは幸いでした。
夫自身、これまで運転時に衰えを感じることはなかったと思います。ただ、ちょっと疲れていたのはあったかもしれません。
と、語られたそうで、小松さんは事故に巻き込まれてしまっていたようです。
確かに、芸能界に入る前、自動車販売会社のトップセールスマンとして日々車を運転し、芸能界に入ってからも、植木等さんの付き人として、植木さんを日々送迎されていた小松さんの運転技術を考えると、うなずけます。
ただ、それでも、小松さんは、今後の衰えを見越されているようで、
奥さんは、
まだ仕事が続いているのですぐではありませんが、年内には免許を返納する予定なんです
とも、明かされていたとのことでした。
さて、いかがでしたでしょうか。
小松さんの
- 年齢は?出身は?身長は?
- 本名は?芸名の由来は?
- 裕福な幼少期
- テキヤの口上を真似て演芸会を開いていた
- 父親が他界して極貧生活に
- 老舗和菓子店「石村萬盛堂」で働いていた
- 和菓子店「石村萬盛堂」で住み込みで働く
- 貧しくも楽しい日々の中で役者を夢見る
- 正社員を断るも餞別として1万円もらう
- アルバイトを転々
- ハンコ屋では社長の娘に惚れられる
- ハンコ屋を退職
- 生花店では1本10円の菊を15円で売って社長を喜ばせる
- 花の名前を知らなかった
- 生花店を退職
- 優秀な営業マンで「横浜トヨペット」に引き抜かれていた
- 役者になる夢を諦めていた
- 植木等の付き人募集広告を目にする
- 植木等の付き人募集に応募
- 植木等と初めて会う
- 植木等を本当の父親だと思う
- 600人の応募者の中から採用されていた
- トップセールスマンから植木等の付き人に転身
- 植木等は本当の父親のようだった
- 植木等のさりげない気遣い
- 植木等の計らいで東京オリンピックの開会式を名士らと観る
- 「シャボン玉ホリデー」でデビュー
- 「ハナ肇とクレージーキャッツ」の舞台に出演するも・・・
- 淀川長治のモノマネで人気を博す
- 植木等にあちこちで売り込んでもらっていた
- 大スターの鶴田浩二にも植木等のお陰で声をかけてもらう
- 植木等からクビを宣告され号泣
- 植木等から独立祝いにスーツを仕立ててもらう
- 初の司会に失敗するも植木等の励ましで立ち直る
- コメディアンとして頭角を現す
- 独立後も植木等との師弟関係は続いていた
- 伊東四朗とのコンビで活躍
- 「電線音頭」でブレイク
- 「しらけ鳥音頭」も人気爆発
- 出演作品(テレビドラマ)
- 出演作品(映画)
- テレビドラマ「特捜9」で17年ぶりに伊東四朗と共演
- 舞台「うつつ~小松政夫の大生前葬~」では37年ぶりの主演
- タモリとの出会い
- タモリの持ちネタ「イグアナのモノマネ」の誕生秘話
- タモリが小松政夫の赤ん坊にまたがって・・・
- 「笑っていいとも」の司会は小松政夫とタモリのコンビの予定だった
- 妻は?息子は?
- 結婚後も昔ながらの芸人の様に毎晩飲み歩いていた
- 自宅付近の東京都世田谷区で接触事故
- 免許返納
について、まとめてみました。
2016年には、植木等さんに捧げる、シングル「親父の名字で生きてます」を発売し、
2017年9月には、著書「昭和と師弟愛 植木等と歩いた43年」を上梓するほか、
私はね、タレントじゃなくて芸人(げいにん)です。死に物狂いで修業してきました。早ければ来年(2018年)2月ごろに「小松一座」を組んで、博多を皮切りに全国を回れればいいなって思ってます。
髪を振り乱し、汗だくで笑わせますよ。それがおやじさんへの恩返しですから
と、語り、今もなお、師匠である植木等さんとの絆を強く感じておられる小松さん。
小松さんは、
わたしも今年で75歳(2017年)になりました。でもあと10年は、いや、身体が動かなくなるまでは、 一線でやっていきたいと思っているんですよ。
歳をとっても、台本も小道具も要らないひとり芝居ならできる。それが、1つの芸をとことん極めていく生き方だと思うんです。
と、おっしゃっており、
永遠の師匠である植木等さんの背中を追う旅は、まだまだ、続きそうですね。
そんな小松さんからは、まだまだ目が離せません!!
「小松政夫の生い立ちは?少年時代からテキヤの口上をマネしていた!」