太川陽介の年齢は?若い頃はルイルイ?レッツゴーヤングで司会も!


1977年、3枚目のシングル「Lui-Lui」がヒットし、たちまちブレイクされた、太川陽介(たがわ ようすけ)さん。明るい笑顔と「ルイルイ」の決めポーズで一躍人気を博します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?血液型は?

太川さんは、1959年1月13日生まれ、
京都府中郡大宮町(現・京丹後市)のご出身、

身長171センチ、

血液型はA型、

学歴は、
日本学園高等学校卒業、

趣味は、料理、

特技は、ゴルフ、

ちなみに、本名は坪倉育生(つぼくら いくお)ですが、芸名の「太川陽介」は、
「サンミュージックプロダクション」の創業者、相澤秀禎社長が名付けられたそうで、

相澤社長は、

太陽(サンミュージックのサン(太陽の意味))という文字を入れてみました。

とおっしゃっていたそうです。

(作曲家の都倉俊一さんが名付け親と言われていましたが、
 実は、相澤社長が名付け親だそうです。)

桜田淳子の相手役に応募するも落選

太川さんは、1976年、高校2年生の時、雑誌「明星」で、
桜田淳子さんの映画で相手役を募集しているのを見て、
憧れの桜田さんに会えると思い、応募されると、
この時は、締切が過ぎていたため、落選してしまうのですが、

なぜか、ほどなくして、「サンミュージックプロダクション」
(桜田さんの当時の所属事務所)からオーディションの通知が届いたそうで、

えっ!芸能人になるの?

と、大喜び。

しかし、結局は、ご両親の猛反対にあって、
あえなく断念してしまいます。

「10年に1人の逸材」と言われ、スカウトされる

一方、「サンミュージックプロダクション」では、
太川さんのように、締切を過ぎて応募してきた男の子たちがほかにもいたため、
落選組を集めて「敗者復活戦」をしようということになったそうで、

半年後、太川さんにもオーディションの通知を再び送られるのですが、
太川さんはこのオーディションには参加されず。

ただ、その太川さんを、創業者の相澤秀禎さんが、
「10年に1人の逸材」とえらく気に入ったそうで、

彼をスカウトしよう。(親御さんを)口説いてきて。

と、社員の福田時雄さん(現・名誉顧問)が両親の説得のため、
太川さん宅に訪問することになります。

そして、福田さんはお昼前に太川さん宅に到着するのですが、
太川さんがまだ学校にいる時間帯だったため、
ご両親に事務所のことなどを説明しようとすると、

会ったとたん、

これですぐお帰りください。

と、正午発の切符を渡され、

育生(太川さんの本名)は三男だが、家業を継がせたい、
だから奪わないでほしい。

と、切々と話されたそうで、

(太川さんのお父さんは、丹後ちりめんの卸販売会社を経営されていました)

これには福田さんも、いくら太川さん本人がデビューを希望しているといっても、
無理を言うことはできず、あきらめて帰ろうとしたところ、

太川さんが、

お父さんが勝手に断るんじゃないかと、
胸騒ぎがして走って戻ってきた。

と、学校から息を切らして帰ってきたそうで、

そのあまりにも必死な息子の様子を見た太川さんのお父さんが、

これも運命か

と言われ、一転、太川さんの芸能界入りを許されたのでした。

ちなみに、福田さんは、当時を振り返り、

あのタイミングで陽介が戻ってこなければ、
芸能界入りは途絶えていたでしょう。

と、語っておられました。

若い頃は「ルイルイ」でブレイク!

こうして、晴れて芸能界入りした太川さんは、1976年12月、
ファーストシングル「陽だまりの中で」でアイドル歌手デビューし、
翌年の1977年4月には、2枚目のシングル「南風」をリリースすると、

同年7月にリリースした3枚目のシングル「Lui-Lui」が、
明るい曲調と、太川さんの眩しい笑顔でヒット。


「Lui-Lui」

同年末には、「第19回日本レコード大賞」をはじめ、
各音楽大賞の新人賞を総なめにし、

軽やかなステップを踏みながら、手のひらを「L」の字にして、
「ルイ・ルイ!」とするポーズで、太川さんはたちまち人気者となったのでした。

(このポーズは太川さんのトレードマークになっており、現在でも、
 懐メロの音楽番組などでは、同曲を同じポーズで歌唱されています)

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人気が低迷

その後も、太川さんは、1977年、NHKの音楽番組「レッツゴーヤング」に、
番組内で結成されたオリジナルグループ「サンデーズ」の一員として出演されると、
「サンデーズ」として2年間活動し、

1979年には、同番組で司会に抜擢されるなど、
順調にアイドルとしての活動を続けられていたのですが・・・


「レッツゴーヤング」で司会を務める、石川ひとみさんと太川さん。

徐々に人気に陰りが見え始めると、

「レッツゴーヤング」
でファンと一人づつ握手をしている際にも、
「キャー」という声が少しづつ落ちていくのを感じたそうで、

次第に、それに恐怖を感じるようになり、

(歌の世界で)いつか自分は飛ばされる

と、思いつめた挙げ句、

1985年、ついに、自ら、

辞めさせて下さい

と言って、司会を辞めてしまわれたのでした。

「太川陽介の嫁は藤吉久美子!子供は?亭主関白?蛭子能収と路線バスの旅!」に続く

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