「ぴったし カン・カン」「ザ・ベストテン」ですっかり人気司会者になられた久米宏(くめ ひろし)さんは、1979年にフリーとなられた後も、1982年には「久米宏のTVスクランブル」をヒットさせ、1985年には、高視聴率を記録し続けていた「ザ・ベストテン」を降板されてまで出演された・・・

「久米宏の若い頃は?ぴったしカンカン?黒柳徹子とザ・ベストテンも!」からの続き

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「久米宏のTVスクランブル」で横山やすしと

こうして、「ザ・ベストテン」の司会で、押しも押されぬ人気司会者となった久米さんは、翌1979年には「TBS」を退社されると、以降フリーとなり、民放の各テレビ局を中心に活躍。

1982年には、生放送の情報バラエティ番組「久米宏のTVスクランブル」で、メインパーソナリティーを務められると、毎週ビデオ構成で時事ネタを取り上げ、それについて久米さんと芸人の横山やすしさんが自由な意見を言い合うという内容で、当時、異例だったやすしさんの起用が大きな話題に。


「久米宏のTVスクランブル」より。横山やすしさんと久米さん。

実は、やすしさんの起用を強く希望したのは、昔から「やすきよ」の大ファンだった久米さんで、「TVスクランブル」の企画が持ち上がった際、どうしてもやすしさんに出てもらいたく、「料理天国」で共演していた、やすしさんの漫才の相方である西川きよしさんにやすしさんを紹介してもらったのだそうです。

ただ、久米さんがきよしさんに、

やすしさんと番組をやる

と言うと、きよしさんは、

やめたほうがいいですよ、やすしさんとはやめたほうがいいですよ

と反対されたそうで、

実際、番組がスタートすると、その言葉を証明するかのように、やすしさんは、次第にトラブルメーカーぶりを発揮。

お酒に酔った状態で出演し、暴言を吐いたり、きわどい政治的発言を連発したかと思えば、暴言が問題視された翌週には、「今日は黙秘権」と言い放ち、一切のコメントを拒否。

趣味の競馬で当てた日は上機嫌で、競艇新聞をポケットから取り出し、「(友人の)ともさん勝ったんかな~」と超個人的な話を満面の笑みを浮かべて話すほか、

放送禁止用語の連発、急にトイレに立つなど、破天荒なふるまいでスタッフを慌てさせます。

ただ、そんなやすしさんに対し、久米さんがうまくアドリブで対応し、

やすしさんがトイレに立っていなくなった時には、久米さんが「やすしさーん!」とあきれ顔で叫び、

やすしさんがソ連の最高指導者だったブレジネフの葬儀の話題の時に「こいつ、アカやろ?」と言い出すと、久米さんが「バカ!」と言って怒ったりと、

ことごとく、笑いに替えたことで、二人の掛け合いが視聴者からの人気を獲得。NHK大河ドラマの裏番組だったにもかかわらず、高視聴率を記録したのでした。

番組に穴をあけ、横山やすし降板

しかし、1984年11月、やすしさんが、渋滞が原因で飛行機に乗り遅れ、番組の出演に穴をあけてしまうと、さすがに、やすしさんは、番組を降板させられ、「吉本興業」からも「無期限謹慎処分」

以降、番組は、毎回ゲストを呼ぶ形式に変更されているのですが、久米さんは、

(この番組でやすしさんは、評価がかなりあがったのですが、同時にこの番組に出演し始めた頃から酒を飲んで仕事をするようになったそうで)ただ、やっぱり、居心地が悪かったんでしょうね、最終的に。

自分が信じていることを言って、それが僕に「バカ」って言われたりなんかしたりして、でも、評判はいいという、妙な立場に置かれたのが嫌だったのかもしれないですね。

と、やすしさんを慮っておられます。

(ちなみに、「TVスクランブル」は、やすしさん降板後も安定した視聴率を記録していたのですが、番組制作会社の、人気がなくなってから終了させたくないとの方針と、久米さんの半年間の充電を理由に1985年3月で終了しています。)

「ニュースステーション」のメインキャスターに

その後、久米さんは、1985年4月には、高視聴率を記録中にもかかわらず、「ザ・ベストテン」を降板し、同年10月からは、テレビ朝日の大型ニュースショー番組「ニュースステーション」のメインキャスターを務められているのですが、

通常、フリーの司会者が「ザ・ベストテン」のような高視聴率番組を自ら降板することはありえなく、そのうえ、当時は、黒柳さんとのタッグで「ザ・ベストテン」の司会ができること自体、ノーギャラでも誰もがやりたがる仕事だっただけに、周りを驚かせたのですが、

「ニュースステーション」は、放送時間の関係で「ザ・ベストテン」を辞めないとできなかったそうで、「ザ・ベストテン」以外にも、「おしゃれ」以外のレギュラー番組をすべて降板されたのでした。

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「ザ・ベストテン」降板の本当の理由

久米さんは、そこまでして「ニュースステーション」に出演された理由を、後日、

報道番組をやるのが夢だった

と、言われているのですが

実は、「ニュースステーション」は、「電通」「テレビ朝日」「久米さんの事務所」がタッグを組んだ番組で、事務所の社長は事務所の存亡を賭けており、「テレビ朝日」もまた、平日に放送していた「ANNニュースファイナル」「ANNスポーツニュース」を終わらせてまで、「ニュースステーション」をスタートすることから、

もし、失敗すれば、相当な人の首が飛ぶことが容易に想像でき、逆に、それだけ、多くの人がこの番組に夢を賭けていることを感じ、久米さんも、それなら自分も賭けるしかないと「ニュースステーション」に出演することを決断されたのでした。

ただ、「ニュースステーション」に出演することは、口外禁止となっていたため、久米さんは、「ザ・ベストテン」のスタッフはおろか、相方の黒柳徹子さんにも言うことができなかったそうで、そのことを、長年苦しまれたとのこと。

それでも、70歳を過ぎた現在、

あれしかなかった。決まっていた道だと思いますね。ほかに選びようがなかった。70過ぎまで生きてみるもんですね。そういう思いになったのは、成長したからじゃないですか(笑)

と、おっしゃっていることから、十分、苦しみを上回る大きなものを得られたということなのでしょうね。

「久米宏の現在は?嫁と本出版?子供は?ラジオなんですけど!」に続く

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