林真理子の壮絶な生い立ちとは?若い頃は糸井重里に師事しコピーライター!


近年では、著書の「西郷どん!」が2018年のNHK大河ドラマとしてテレビドラマ化されるなど、大きな話題を呼んだ、林真理子(はやし まりこ)さん。そんな林さんの、生い立ち、中学時代、就職活動、アルバイト、コピーライター時代について調べてみました。

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年齢は?出身は?本名は?

林さんは、1954年4月1日生まれ、
山梨県山梨市のご出身、

学歴は、
山梨県立日川高等学校
⇒日本大学藝術学部文芸学科卒業

趣味は、
料理、オペラ鑑賞、歌舞伎観賞、観劇、食べ歩き、

特技は、
日舞(藤間流名取)、

ちなみに、
林真理子は本名です。

両親は?

林さんのお母さんは大正4年生まれで、当時では(女性としては)珍しく、大学を卒業して教師をされ、その後、出版社に勤務するなど、とても優秀だったそうですが、

ご主人(林さんのお父さん)が戦争で応召され、満州に渡ったまま終戦後も帰ってこない状態が続くと、生活のため、母親(林さんのおばあちゃん)の実家で書店の経営を始められたそうです。

そして、8年後、ようやくお父さんが帰ってくると、38歳という高齢で林さんを出産。さらに、翌年には、男の子(林さんの弟)も出産されたのでした。


赤ちゃんの頃の林さん。

お母さんからの教え

そして、そんなお母さんから、林さんは、さっそうと毛皮を着て帽子をかぶったオシャレな女性(独身時代、出版社に勤めていた時のお母さんの姿)が写った一枚の写真を見せられ、

私らの時代は十の努力しても戦争のせいで三しか狙えないけど、あんたらの時代は二十でも三十でも狙えるよ。

と、言われて育ったそうで、

この写真と目の前にいるお母さんを見比べて、強い衝撃を受けた林さんは、

当時としては破格に教養の深かった母親と、終戦後も満州の地で享楽的に、毎朝、中国共産党の歌を歌う父が、合う訳がなく、どうして離婚しないのか不思議なくらいだった。

と、人生の無常を感じ、後にこの衝撃が林さんを突き動かしていくこととなったのでした。


幼少期の林さん。

中学時代は壮絶なイジメを受けるも・・・

しかし、現実では、林さんは、最悪の中学時代を過ごします。

というのも、「ブス」であることで、

  • 椅子の上に剣山を置かれたり、
  • 画鋲(がびょう)を載せた手を無理やり握らせられたり、
  • プールに突き落とされたり、

されたほか、「林真理子を百回泣かせる会」まで生まれ、壮絶ないじめに遭ったというのです。


中学時代の林さん。

それでも、書店で身を粉にして働くお母さんには、心配をかけたくないとの思いで、どうしても言えず、

好かれているからイジメられているのだ

と、あえて勘違いをしてやり過ごそうと努めていた林さんは、

中学3年生のある時、「新規まき直し法」という、いじめっ子たちを出し抜く方法を思いつきます。

それは、いじめっ子たちは皆、クラスでも成績の悪い子ばかりだったことから、高校はその子達が到底行けないレベルの学校に行けばいいのだと。

ただ、そう思いついた、当の林さんも、あまり成績が良くなかったことから、一計を案じ、

担任の先生に、

いずれ大学に行くから日川高校に行きたいです

と、頼みこんで、到底、今のレベルでは行けない日川高校に、内申書の宛名を書き換えてもらったそうで、

その後、林さんは、イジメから開放される一心で猛勉強すると、見事、日川高校に合格。

すると、日川高校では、人気者となるなど、信じられないほど楽しい高校生活を送ることができたのでした。

就職活動は40社以上全敗

その後、林さんは、日本大学に進学され、やがて卒業。

壮絶なイジメを受けていた中学時代、本の中の世界で妄想することだけが、唯一の楽しみだった林さんは、出版社への就職を希望していたのですが、

いざ、就職活動をスタートすると、希望していた出版社はおろか、どの業種の試験も全て不採用。その数40社以上。

しかし、めげない林さんは、いつか自分が有名になった時、取材に来た人に、

あなたの会社も落ちちゃって-

と、笑いながら見せるため、

その全ての不採用通知をまとめた束をリボンでくくって宝物にしていたそうで、

「植毛クリニック」で、植毛の糸を注射針に入れていくアルバイトを2年以上するなどして、4枚40円の食パンを食いつなぐ、極貧の日々を過ごされたのでした。

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コピーライターになるも・・・

こうして、美貌も、コネも、お金もない現実をつきつけられながらも、根拠のない自信だけは持ち続けていた林さんは、やがて、当時、花形の職業だったコピーライターになろうと、一念発起。

糸井重里さんのコピーライター講座を受講されると、授業ではいつも最前列に座り、課題では人と違う解答を出し続けた林さんは、ついに、糸井さんの目にとまり、事務所の電話番として採用してもらうことができます。

その後は、当時、秋山道男さんが編集していた「西友ストア」のPR雑誌「熱中なんでもブック」(後に「青春評判ブック」)の編集スタッフとなられ、

1981年には、西友ストア向け広告コピー「つくりながら、つくろいながら、くつろいでいる。」「TCC(東京コピーライターズクラブ)」の新人賞などを受賞されるのですが、

最終的には、糸井さんから、

コピーライターは100のものを1にする仕事だが、林さんは1のものを100にするほうが得意だから

という理由で、

コピーライターには向いていない

と言われたのでした。

「林真理子の夫は?娘は障害者?直木賞受賞作ほか著書やTVドラマ化は?」に続く

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