林真理子の夫は?娘は障害者?直木賞受賞作ほか著書やTVドラマ化は?


壮絶なイジメを受けた中学時代を乗り切り、高校時代は楽しく過ごすも、就職活動では連戦連敗だった、林真理子(はやし まりこ)さんですが、コピーライター時代、糸井重里さんの言葉で、大きな転機を迎えます。

「林真理子の壮絶な生い立ちとは?若い頃は糸井重里に師事しコピーライター!」からの続き

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処女作「ルンルンを買っておうちに帰ろう」が100万部超のベストセラーに

こうして、今をときめく、コピーライターの糸井重里さんから、はっきりと、自分がコピーライターに向いていない理由を聞いた林さんは、

なるほどと納得し、編集者に勧められるがまま、1982年、若い女性の等身大の姿を描いたエッセイ「ルンルンを買っておうちに帰ろう」を出版されると、いきなり100万部を超えるベストセラーに。


ルンルンを買っておうちに帰ろう

そして、このヒットで、作家として生きていく覚悟を決めた林さんは、

以降、

1983年「夢見るころを過ぎても」
     「幸せになろうね-働くおんなの意地とマコト けなげに上手にワーキング!」
     「花より結婚きびダンゴ
     「ルンルン症候群」

1984年「星に願いを」
     「街角に投げキッス」
     「林真理子スペシャル―ルンルンだけじゃ、ものたりなくて」
     「真理子の夢は夜ひらく」
     「ブルーレディに赤い薔薇」
     「葡萄が目にしみる
     「ふたりよがり―対談集」
     「テレビしちゃった!」

1985年「星影のステラ」
     「今夜も思い出し笑い」
     「テネシーワルツ」
     「林真理子二枚目コレクション」
     「紫色の場」

と、怒涛のように次々と著書を出版されると、

1986年には、前年の1985年に発表した「最終便に間に合えば」「京都まで」で「第94回直木賞」を受賞。

1995年には、「白蓮れんれん」で「第8回柴田錬三郎賞」
1998年には、「みんなの秘密」で「第32回吉川英治文学賞」
2013年には、「アスクレピオスの愛人」で「第20回島清恋愛文学賞」

と数々の賞を受賞され、

ついに、2018年には「紫綬褒章」まで受章され、

自分は怠け者だとずっと思っていたが、最近になって「地方出身の努力家」なんだと気づきました。小説を書くことが私を成長させてくれました。

と、その喜びを語られたのでした。

(「紫綬褒章」とは、芸術や学術で業績の著しい人に国家から授与される褒章)

映像化作品(テレビドラマ、映画)

それでは、ここで、数多い林さんの著書の中から、映像化されたものをご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1984年「林真理子の星に願いを」(原作:『星に願いを』)
1986年「南青山物語」(原作:『南青山物語』)
1987年「胡桃の家」(原作:『胡桃の家』)
     「ビデオ・パーティー」(原作:『ビデオパーティー(『身も心も』)』)
1988年「しあわせ志願」(原作:『真理子の青春日記&レター』『食べるたびに哀しくって』)

1989年「林真理子の危険な女ともだち」(原作:『満ちたりぬ月』)
1990年「女キャスター物語」(原作:『幕はおりたのだろうか』)
1991年「葡萄が目にしみる」(原作:『葡萄が目にしみる』)
     「ラブストーリーは突然に『素敵なボーイ・ミーツ・ガール』」(原作:『素敵なボーイ・ミーツ・ガール』)


「葡萄が目にしみる」より。戸田菜穂さんと萩原聖人さん。

1992年「ミカドの淑女」(原作:『ミカドの淑女』)
1993年「トーキョー国盗り物語」(原作:『トーキョー国盗り物語』)
1996年、1998年「素晴らしき家族旅行」(原作:『素晴らしき家族旅行』)
1996年「恐い女シリーズ(1)女の怪談「土曜日の献立」」ほか2編(原作:『怪談―男と女の物語はいつも怖い』)


「トーキョー国盗り物語」より。(左から)清水美砂さん、沢口靖子さん、荻野目洋子さん。

1997年「不機嫌な果実」(原作:『不機嫌な果実』)
2003年「夢みる葡萄~本を読む女~」(原作:『本を読む女』)
     「コスメティック」(原作:『コスメティック』)
2005年「anego[アネゴ]」(原作:『anego』)
2006年「ウーマンズ・アイランド~彼女たちの選択~」(原作:『ウーマンズ・アイランド』)


「不機嫌な果実」より。(左から)石田ゆり子さん、岸田今日子さん、渡辺いっけいさん。

2011年「下流の宴」(原作:『下流の宴』)
2016年「不機嫌な果実」(原作:『不機嫌な果実』)
2018年「西郷どん」(原作:『西郷どん!』)

映画では、

1997年「不機嫌な果実」(原作:『不機嫌な果実』)
2001年「東京マリーゴールド」(原作:『一年ののち(『東京小説』)』)

など、多数の著書が映像化されています。

夫は?

そんな林さんの、気になるプライベートですが、林さんは、1990年、36歳の時、一橋大学出身で千代田化工建設に勤めていた東郷順さんと結婚されています。

林さんは、子どもの頃から、人生で実現したい、いくつかのことを決めていたそうで、その中には結婚も入っていたのですが、恋愛はことごとく失敗に終わり、何度かお見合いに挑戦したそうです。

そんな中、エリートサラリーマンだった東郷さんと気が合って結婚されたそうで、林さんは、そのことについて、

誰ももらってくれなくて、唯一いまの夫が貰ってくれて感謝している

と、おっしゃっていました♪


結婚披露宴での東郷順さんと林さん。

ちなみに、ご主人は、リーマンショックの煽りを受けて、リストラされてしまい、現在は、主夫となって、林さんの活動を支えられており、そのため、

ヒモ旦那

と、世間から揶揄されることも多いのですが、

林さんはそんな世間の声にもひるむことなく、

林家は代々男に貢ぐ

と、エッセイの中で綴っておられ、

実際に、ご主人のために高級車を何台も購入されています♪


現在の東郷順さんと林さん。

娘は障害者?

そして、苦労の末、お子さんも出産されています。

実は、林さんは、なかなか子どもに恵まれず、40歳から辛い不妊治療を始められると、1998年、44歳の時、ついに、体外受精により妊娠。同年、女の子を出産されています。

ちなみに、林さんは、この娘さんのために、月100万円で住み込みの家政婦さんを雇っておられるとのことで、娘さんが障害者との噂がありますが、娘さんは、普通に「青山学院高等部」に進学されており、全くの健常者。

辛い不妊治療の末、出産した娘さんのために、有り余ったお金をつぎ込みたくなるのは、ごく普通の感覚ですね♪

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母親が101歳で他界

さて、いかがでしたでしょうか。

2017年6月には、最愛のお母さんを101歳で亡くされた林さんですが、

お母さんは、生前、97歳の頃、

私も作家になりたかった

と、漏らすようになったそうで、なんでも、戦後、鎌倉に作家のための大学ができるも、母親(林さんの祖母)に反対されて行けなかったそうで、

あのとき行っていれば、私は真理ちゃんなんかより、もっとすごい作家になっていたかもしれないのよ

と、本気で悔しがられていたとのこと。

その後、お母さんは、自らの意志で介護施設に入られると、林さんは、多忙な仕事の合間をぬって、お母さんに会いに、地元、山梨の介護施設を訪れていたそうですが、やはり、林さんは、お母さんが介護施設に入られたことに悔いが残ったそうで、

これ、お母さんに食べさせてあげたかったなぁ、とか。母をうちに引き取っていれば、とか。実際、家を建てるとき、エレベーターを付けて、母を引き取ろうとか、お手伝いさんをつけることも考えました。

でも、母は「絶対、あなたの負担になるから」と。「親によって、子どもの人生が変わるのがいちばんつらい」と、言っていて。その言葉に甘えちゃったわけですが。どんなことをしたって、悔いは残る。でも、きっと悔いは供養だと信じたいです。自分を責めない程度の悔いは、死者への優しさだと思うから。

と、おっしゃっていました。

60代後半に差し掛かるといえども、いまだ創作意欲は衰えを知らない林さん。これからも、お母さんの分まで、まだまだ面白い作品を世に出し続けてほしいものです。

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