1968年10月17日、日本人で初めてノーベル文学賞を受賞するも、それからわずか3年半後の、1972年4月16日、執筆のために購入していた、神奈川県逗子市の逗子マリーナマンションで遺体となって発見された、川端康成(かわばた やすなり)さん。

遺書は残されていなかったものの、発見時の状況から、自殺と考えられているのですが、

今回は、川端康成さんの、遺体発見時の状況、死因、自殺原因と考えられている出来事、そもそも自殺ではなかったなど、川端康成さんと親交のあった人々の証言を交えつつ、ご紹介します。

川端康成

「【画像】川端康成の若い頃は?デビュー作品は?代表作や経歴を時系列まとめ!」からの続き

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川端康成の死因はガス中毒だった

川端康成さんは、1972年4月16日、神奈川県逗子市の逗子マリーナマンションの417号室で、遺体となって発見されました。

死亡推定時刻は午後6時頃、死因はガス中毒で、発見時の状況から、”酩酊の末の自殺”と考えられているのですが、遺書などはありませんでした。

川端康成さんは、入口のガスストーブの栓からガス管を引き、薄い掛け布団を胸までかけて、まるで眠っているかのように亡くなっていたそうで、

枕元には封を切ったばかりの飲みかけのウィスキーのボトルが1本、書斎からは睡眠薬の空き瓶が見つかったといいます。

(川端康成さんがガス管を咥(くわえ)た状態だったという話もあるようですが、妻の秀子さんは、ガス管は咥えていなかったとこの話を否定しています)

川端康成はノーベル文学賞受賞後は創作が思うように進まない焦りから不眠に悩み睡眠薬中毒になっていた

実は、川端康成さんは、1968年に日本初のノーベル文学賞を受賞した後、多忙を極めるようになり、連載していた長編小説もこの時期を境に執筆が止まっていたそうで、

創作が思うように進まない焦りから、極度の不眠症に悩まされるようになり、睡眠薬を服用するようになっていたといいます。

(ノーベル文学賞を受賞したことで、川端康成さんの作品に対する期待がますます高まり、その重圧もあったと言われています)

そんな川端康成さんの晩年の6年間を診療したという栗原雅直さんは、

目がとろんとして眠たげで、目の動きがのろいとか、これは(睡眠薬の)薬物中毒というか。

本当は自分としては創作こそ作家の命と思っているんだけど、創作ができないと。かなりつらかったと思います。

と、語っています。

実際、川端康成さんは、死の6日前に、

この春は花も見ず、病とも申せぬ心の弱りを非常に意識しています

と、自らの心情を手紙に書き綴っていたといいます。

(この年の3月には盲腸炎も患っていたそうです)

川端康成の愛弟子・三島由紀夫が割腹自決を遂げていたのも影響か

また、1970年11月25日には、作家の三島由紀夫さんが自衛隊市ヶ谷駐屯地において割腹自決しているのですが、このことも、川端康成さんに大きな影響を与えたと考えられています。

というのも、三島由紀夫さんは、東京大学在学中に、処女小説集「花ざかりの森」を川端康成さんに直接売り込んでいるのですが、

川端康成さんは、この作品で三島由紀夫さんの才能を感じて、三島由紀夫さんを後押しし、結果、三島由紀夫さんは人気作家となっており、

かわいがっていた愛弟子の突然の死は、川端康成さんに大きなショックを与えたと考えられているのです。

川端康成の自殺理由は独特の美意識から?

ただ、川端康成さんと親交が深かったという、女優の岸惠子さんは、

川端さんはあれ(ノーベル賞)をもらったから『書けなくなって自殺した』という、うわさがあったんですって聞きましたけど、そんな方じゃないです。もっと芯が図太い方だった。

(1970年、割腹自決を遂げた三島由紀夫さんの影響について)私はないでしょうと思います。

(川端)先生の中では、必然的な締めくくりだったと思います。川端先生なら、なさっただろうと思います。変な暗いイメージではなくて、もう終わりにしようと。

と、川端康成さんの死は、創作が進まない焦りや三島由紀夫さんの死とは関係なく、独特の美意識によるものではないかと、語っています。

また、日本文学研究者のドナルド・キーンさんも、

ノーベル文学賞の受賞者としてレベルに達した作品を書けなかったから、その苦しみに耐えかねて川端先生は死を選ばれたということも考えられます。

しかし、川端先生は美に対しては計り知れないほど繊細で、優れた感性をお持ちでした。そんなことに死を選ばれた原因があるのではと思うこともありますが、みな、想像にしか過ぎません。

と、想像に過ぎないと後付けしつつも、川端康成さんの自殺は美意識からではないかと語っています。

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川端康成は自殺ではなかった?

一方、川端康成さんの妻・秀子さんは、

自殺ではなく、事故

と、語っています。

また、川端康成さんと親交があり、死の4ヵ月前に川端康成さんと会っていたという、フランス人詩人のジャン・ペロルさんも、

(川端康成さんは)自分が老い衰いていくことを悲しんでいましたが、人生の総括のようなことは拒んでいました。

まだまだ書きたかったのです。自殺への憧憬はまったくないと、私には言いました。そのときの彼の優しい、非情な黒いまなざしは忘れられません

と、自殺説そのものをを否定しています。

「川端康成は初恋相手と婚約するも破局し「ちよ物」を執筆するようになっていた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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