藤子f不二雄の死因は?鉛筆を握ったまま?昔は肺結核も!


国民的人気アニメ「ドラえもん」の作者として有名な、藤子・F・不二雄こと藤本弘(ふじもと ひろし)さんですが、なんと、藤本さんは、「ドラえもん」執筆中の机の上で意識を失い、意識が戻らぬまま3日後に亡くなっています。そんな藤本さんの、患っていた病気、他界直前、執筆途中だった「ドラえもん」の続きなどについて調べてみました。

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昔は肺結核も

石ノ森章太郎さんの著書「凸凹コンビ藤子不二雄伝」によると、藤本さんは、上京したばかりの1954年頃、「肺浸潤(はいしんじゅん)」「肺結核」の初期の症状)を患うも、

当時は、食うや食わずの生活でお金がなかったため、病院に行くことができず、やむなく、我慢の末、自然治癒で治されたそうですが、もともと体調に不安を抱えておられたようです。


1954年当時の安孫子素雄さん(左)と藤本さん(右)(ともに21歳)。

(当時は、患者へのショックを和らげるため、医者は「肺結核」と言わず、「肺浸潤」と告げることもあったそうですが、現在は、ほとんど「肺浸潤」という病名は使われていないそうです)


「凸凹コンビ藤子不二雄伝」より。

「胃ガン」手術

そんな藤本さんは、1986年には、「胃潰瘍」の手術を受けられると、手術後には復帰されるも、その後、肝臓を悪くして通院されるなど、体調が悪化。

実は、藤本さんの病気は「胃潰瘍」ではなく、「胃ガン」だったそうで、藤本さんには知らされていなかったのでした。

それでも、相方の安孫子素雄(藤子不二雄a)さんによると、藤本さんは、医師から再検査を受けるように言われた際には、

まったく自覚症状がないのになァ

と、おっしゃっていたそうで、それから、ほどなくして、体調を崩し始めてからも、藤本さんは昔から顔が細面だったため、やつれているようには見えなかったそうです。

死因は「肝不全」

そして、その後も、ずっと創作の意欲は衰えなかった藤本さんですが、1996年9月20日、「ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記」を執筆されているなか、

家族が夕食の準備ができたことを告げると、いつものように仕事部屋から返事をされるも、いつまで経っても食卓に来なかったため、娘さんが仕事部屋に呼びに行くと、

意識を失って机の上に寄りかかっている藤本さんを発見。

すぐに病院に搬送されるも、意識が回復することはなく、9月23日午前2時10分、62歳で、「肝不全」のため、他界されたのでした。

「ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記」の62ページ目の途中あたり、スネ夫のロケットをビッグライトで巨大化するシーンを描いている途中で、鉛筆を握ったまま、絶筆されていたそうです。)


「ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記」62頁より。

死を予期していた?

ところで、藤本さんは、すでに自身の死が近いことを感じていたようで、劇場版「ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記」に限り、監督の芝山努さんに、原作が完成する前に話の大筋をすべて教え、死後の自身の作品の行方や「藤子プロ」の活動などに対して心配を寄せている内容を書いた手紙を残されているほか、

物語の中でも、種まく者がのび太に対し、

あとは君たちに任せる

と語るシーンがある事から、芝山さんは、後に、まるで遺作となる事が分かっていたかのようだったと語っておられました。

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最後の作品「のび太のねじ巻き都市冒険記」はアシスタントが完成

また、「ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記」の連載の執筆を引き継いだ萩原伸一(現・むぎわらしんたろう)さんによると、

その少し前からだんだん線が弱々しくなっていて、体調がよろしくないのかなあとは思っていました。それでもキャラクターのペン入れだけは必ず先生がされていたんです。

ところが「ねじ巻き都市冒険記」の第1回で手が入っていたのは、冒頭のカラーページ4枚だけ。そのあとの原稿は下描きだけでした。ぼくらアシスタントは背景こそ描き慣れていますけど、ドラえもんやのび太を描く練習なんてしないですから。すごく苦労したのを覚えています。

と、藤本さんの体調がさらに悪化したようで、

その連載第1回の原稿については、

普段は原稿を見ても何も言わないんです。「ありがとうございます」くらいで。ぼくらもその状況に慣れていたんですが、あの回だけはもっとこう直してほしいという思いがたっぷり書かれていて。実はこんなことを感じていたのか、と驚きました。

本当にいろいろです。のび太の部屋に食べかけのアイスのカップを置いてくれとか、読みかけのマンガや座布団を散らしてほしいとか。つまりのび太っていうのは本当にだらしない人間なんだと。それが一目みて分かる背景にしてほしいということだったんだと思います。そういう生活感を大切にされていました。

と、藤本さんから事細かに要望が書き込まれたコピーが送られてきたのだそうです。

そして、第2回目の連載原稿は、むぎわらさんがペン入れを代行する形で、この要望書に気を配りながら完成させ、その出来栄えを、藤本さんも高く評価されたそうですが・・・その直後、藤本さんが他界されたのでした。

このとき、むぎわらさんは、

ドラえもんはもうこれで終わったんだ

と思ったそうですが、その後、藤本さんの家族から未完成原稿を託されたそうで、

藤本さんが、体調が悪化する中、スタッフに引き継ぐために描き残したと思われる、全ページに下書きが入った3回目の原稿のペン入れを引き続き代行されたのですが、

4回目以降は、一切の完成原稿が残されておらず、

先の展開がどうなるか、スタッフはほとんど聞いていなかったんですよ。幸い先生の机にアイデアノートが残っていたので、それをみんなで組み立てながらお話を作っていきました。

ノートといっても「小便小僧で火事消す」とか、そういうアイデアがいくつもランダムに書かれているだけでしたし、先生自身のメモ書きだったので、内容を解読するだけでも一苦労でした。

劇場版アニメの芝山努監督にも手伝っていただいてなんとかラストまで作りあげましたが、果たしてあれで正解だったのか、いまだに分かりません。

と、むぎわらさんは、藤本さんが意識を失う寸前まで描いていたブロックごとにまとめられた箱書きのアイデアノートを元にストーリーを完成されたのでした。


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さて、いかがでしたでしょうか。

藤本さんの仮通夜では、藤本さんの死を悼み、

気持ちは混乱していまして、正直言って今朝からずっと足ががたがた震えてて、すごく残念でしょうがないんです。

彼はたいへんな天才だったと思うんですね、僕なんか彼がいたから漫画家になれたようなものでね。すごくピュアな気持ちの男だったんですね。

と、コメントされていた、相方で親友の安孫子素雄(藤子不二雄a)さんですが、

ちょっと世間ずれしつつも、謙虚で友達想いの我孫子さんがいたからこそ、ピュアな天才・藤本さんが才能を発揮できたのは間違いありません。

この機会に、そんな“二人の”傑作「ドラえもん」を親友の事を想いながら、見てみられてはいかがでしょうか。

心より藤本さんのご冥福をお祈り致します。

藤子f不二雄(藤本弘)の生い立ちは?安孫子素雄との出会いは?

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