若い頃は、「復活の日」「汚れた英雄」などの映画で主演を務め、二枚目俳優として人気を博すと、近年も、NHK大河ドラマ「真田丸」で真田幸昌役を好演し、再ブレイクした、草刈正雄(くさかり まさお)さん。今回は、そんな草刈さんの知られざる生い立ちについてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

草刈さんは、1952年9月5日生まれ、
福岡県小倉市(現・北九州市小倉区)のご出身(福岡県行橋市生まれ)、

身長185センチ、

血液型はO型、

学歴は、
北九州市立中島小学校
⇒北九州市立白銀中学校
⇒福岡県立小倉西高等学校高校定時制
⇒東京都立青山高等学校定時制卒業
⇒放送大学卒業

趣味は、
カラオケ、スポーツジム、ビリヤード、バイク、テニス、卓球 、

ちなみに、「草刈正雄」は本名で、子供の頃は「バービー」と呼ばれていたそうです。

父親はアメリカの軍人で草刈正雄が誕生前に朝鮮戦争で他界

草刈さんは、アメリカ軍人のお父さんと日本人のお母さんのもと、福岡県行橋市で誕生するのですが、お父さんは、草刈さんが生まれる前に朝鮮戦争で他界したそうで、

お母さんが、日用品の卸売店で働いて、草刈さんを女手一つで育ててくれるも、4畳半の狭い部屋に、お母さんと2人で暮らしで、経済的にとても厳しかったそうです。

(お母さんからは、お父さんが朝鮮戦争で他界したと聞いていたそうですが、草刈さんが中学生の頃、叔父さんに「おまえのオヤジ、生きているよ」と言われたことがあったそうで、お父さんが生きているか亡くなっているかは分からず仕舞いなのだそうです)


幼少期の草刈さんとお母さん・スエ子さん。

母親に厳しくも愛情深く育てられる

そんな生活の中、草刈さんは、お母さんに、「バービー」と呼ばれ、可愛がられつつも、とても厳しく育てられ、少しでも悪いことをすると、バットを持って追いかけられたそうですが、

後に、草刈さんは、

「あんた、なにしちょんね」これはよく、母から言われた言葉です。 アメリカの軍人だった父は僕が生まれる前に朝鮮戦争で亡くなったので、母はいろんな役をしながら僕を守ってくれました。

それは怖い母でした。 おそらく僕が道をはずれてしまうのを心配したのでしょう。それでなくても父親がアメリカ人ですから、母から聞いたことはありませんが、当時は今以上に差別的なこともあったようです。

と、語っており、

お母さんが父親役も担って、差別などからも守ってくれていたことに気付き、今では、お母さんの愛情を感じ、感謝しているそうです。

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幼い頃は映画館で東映の時代劇を観るのが好きだった

ちなみに、お母さんは大の映画好きで、草刈さんがまだ幼い頃から、よく映画を観に連れて行ってくれたそうで、

(当時は映画館が家の近くにたくさんあったそうです)

北九州市が舞台になっている映画も、今はフィルムコミッションの活躍でロケ数も格段に増えていますが、当時からもたくさんあったんですよ。

中村錦之助さんの「花と龍」は母に連れられて小倉で見たかなあ。「無法松の一生」も好きですね。世界で5本の指に入るラブストーリーだと思います。

阪東妻三郎さんのもいいし、三船敏郎さんのもいい。ちょっと変化球で、勝新太郎さんもおもしろかったですね。僕も演りたかったくらいです。こんなバタくさい顔ですけれども(笑)

と、草刈さんも映画好きになり、中でも、中村(萬屋)錦之助さん、大川橋蔵さん、大友柳太朗さんなどの時代劇のスターがスクリーンに映し出される、東映の映画が大好きだったそうです。


少年時代の草刈さん。

ちなみに、(誰も信じてくれないそうですが)当時、映画館では、お酒を飲み、七輪でさんまを焼いて食べていた人が普通にいたそうで、スクリーンの前に煙がもわ~っと漂っていたこともあったそうですが(笑)、おおらかな時代だったため、誰も文句を言う人はいなかったのだそうです。

「草刈正雄は定時制高校に通いアルバイトで家計を支えていた!」に続く

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