1956年、14歳の時、「ビル・ヘイリー&ザ・コメッツ」「ロック・アラウンド・ザ・クロック」をテレビで初めて聴き、ロックンロールに目覚めた、ポール・マッカートニーさんは、同年、「スキッフル」の火付け役となったロニー・ドネガンのステージを見て、ギターを始められるのですが・・・そんなポールさんに運命の出会いが訪れます。

「ポールマッカートニーの生い立ちは?14歳の時TVでロックに夢中に!」からの続き

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母親が死去

1956年9月、14歳の時、「ビル・ヘイリー&ザ・コメッツ」「ロック・アラウンド・ザ・クロック」をテレビで初めて聴き、ロックンロールに目覚めたポールさんですが
、その翌月の10月には、ポールさんのお母さんのメアリーさんが乳ガンで他界。

メアリーさんは、家族のために、看護師や助産師として毎日忙しく働いていたことから、ポールさんは、大人になったらお金を稼いでお母さんに楽をさせてあげようと思われていたそうで、なおのこと、悲しみに暮れ、

それまで、励んできた勉強も手につかなくなり(成績優秀でクラス委員にも選ばれる優等生だったそうです)、かといって、じっとしているとやりきれない気持ちになったのでした。

ロニー・ドネガンの影響でギターを始める

ところで、ちょうどこの頃、イギリスでは、アメリカ生まれの音楽で、洗濯板や桶など身近なものを演奏に使う、ジャズやブルースの一種「スキッフル」が、その手軽さから若者たちにウケ、大流行していたのですが、

(当時、イギリスでは、数多くのスキッフルバンドが誕生したそうです)

ロックンロールに夢中だったポールさんも、1956年11月頃、「スキッフル」の火付け役となったロニー・ドネガンさんのステージを観て衝撃を受け、

誕生日にお父さんに買ってもらったトランペットを楽器屋でギターと交換してもらってギターを始められると、お母さんの死でやりきれなかった気持ちをまぎらわすように、ギターに没頭されたそうで(食事のときも、トイレに行く時もギターを離さないほどだったとか)、

ポールさんは、後に、

ロニー・ドネガンの影響が大きかった。あれで、ぼくらにもできるんだと実感できたからだ

と、語っておられました。

ロニー・ドネガンさん

ちなみに、ポールさんは、左利きだったため、ギターの演奏に苦労したそうですが(ギターのコードは右利き用に作られているため)、弦を上下逆に張り替えて鏡のように左右対称にすることで克服。ほどなくして、「アイ・ロスト・マイ・リトル・ガール」という曲を初めて作曲されたそうです。

ビル・ヘイリーの生演奏で背筋に電流が走る

そして、年が明けた1957年の初め、ポールさんは、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」のビル・ヘイリーさんがイギリスで初のツアーをするということを聞きつけ、会場となる「オデオン・シネマ」に一人で向かいます。

(ポールさんのお小遣いは週に2シリングだったのですが、入場料は24シリングだったため、何週間もかけてお金を貯められたそうです)

ただ、ビル・ヘイリーさんがお目当てだったにもかかわらず、ライブは前半がビッグバンドによる演奏だったため、ポールさんはイライラしたそうですが、

ライブも後半になり、ようやく、ビル・ヘイリーさんが登場してカウントアップが始まると、それまでの不満が吹き飛ぶほど、生で初めて聴くロックンロールに感激したそうで、再び背筋に電流が走るのを感じたのでした。

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ジョンレノンとの出会い

そんなポールさんは、1957年7月6日の日曜日、友人のアイヴァン・ヴォーンさんとともに、ジョン・レノンさん率いるスキッフルバンド「ザ・クオリーメン」の演奏を観に、セント・ピーターズ教会のガーデン・パーティーを訪れます。

(メンバーは、ジョンさんのほか、リック・グリフィスさん、コリン・ハントンさん、ロッド・デイヴィスさん、ピート・ショットンさん、レン・ギャリーさんで、全員が通っていた「クオリー・バンク・ハイ・スクール」がバンド名の由来だそうです)

「ザ・クオリーメン」は、教会裏の広場で、場つなぎとしてステージに立っており、ジョンさんは、ヴォーカルとギターを、エリックさんはギターを、コリンさんはドラムを、ロッドさんはバンジョーを、ピートさんはウォッシュボード、レンさんは茶箱を転用した楽器ティーチェスト・ベースという楽器を担当。

このパーティーは、リヴァプールの高級住宅街を通る短いパレードとともに昼過ぎに始まると、数台のトラックがバンド達を運んでいて、

一台目のトラックには「ザ・ローズ・クイーン」が載せられ、「ザ・クオリーメン」は2台目のトラックに載せられていたそうですが、動いているトラックの荷台での立ったままの演奏に、ジョンさんたちメンバーは四苦八苦されていたそうです。

そして、夜になると、「ザ・クオリーメン」は、教会の反対側に入りするホールで行われる「グランド・ダンス」「ジョージ・エドワーズ・バンド」とともに出演。


「ザ・クオリーメン」でライブするジョン・レノンさん(中央のチェックのシャツ)

この時、共通の友人だったアイヴァンさんが、ジョンさん(16歳)にポール(15歳)さんを紹介され、ポールさんは初めてジョンさんと知り合われたのでした。

ちなみに、後に、ポールさんは、その時のことについて、

彼はギターを弾いてた。上手くはなかったが、なかなかいい演奏で印象に残ったんだ。“Come Go With Me”を歌ってたが歌詞を知らないらしくて、代わりにブルースの歌詞を使ってた。

“ダーリン 僕とおいでよ” と歌わずに、”たどり着いた所は刑務所” なんて歌うんだ。ブルースによくある歌詞でね。頭のいい男だと思った。それがジョンさ。

「見た目もかっこいいし、歌も上手い。本物のリード・シンガーみたいだ」って思った。もちろん眼鏡は外していたから硬い感じもなかったし、かっこいいなと思ったよ。

と、語っておられます。

「ビートルズはクオリーメン?ジョンとポールとジョージの出会いは?」に続く

ポールさんが初めて作曲したという「アイ・ロスト・マイ・リトル・ガール」

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