ついに、ポール・マッカートニーさん、ジョン・レノンさん、ジョージ・ハリスンさんの3人だけとなった「ザ・クオリーメン」ですが、色んな名前を変遷して、いよいよ、3人は「THE Beatles」としての活動をスタートします。

「ビートルズはクオリーメン?ジョンとポールとジョージの出会いは?」からの続き

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「ザ・クオリーメン」から「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」に改名

次第にメンバーが辞めていき、1959年1月には、ついに、ポール・マッカートニーさん、ジョン・レノンさん、ジョージ・ハリスンさんの3人だけとなった「ザ・クオリーメン」ですが、

もともと、全員が「クオリー・バンク・ハイ・スクール」に通っていたことから名付けた「ザ・クオリーメン」というバンド名もそぐわなくなり、同年10月には、バンド名を「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」と改名します。

スチュアート・サトクリフが加入

そして、1960年1月には、ジョンさんの友人だった、ベースのスチュアート・サトクリフさんが、ジョンさんに誘われて「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」に加わるのですが、

(スチュアートさんは、芸術・文学・映画に精通していて、ジョンさんをはじめ、ポールさんやジョージさんに多大な影響を与えたそうです)

同年4月には、ジョンさんとスチュアートさんが、バンド名を「BEATLES」にしてはどうかとメンバーに提案。


「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」

実は、「BEATLES」は、二人が考え出した造語で、バディ・ホリーさんのバンド名「バディ・ホリー&ザ・クリケッツ」の「クリケッツ」(「こおろぎ」とスポーツの「クリケット」の意味)にあやかり、

昆虫の名前で同じように2つの意味を含んでいる言葉として、映画「The Wild One(乱暴者)」に出てくる暴走族(バイクを乗り回す)の女のスラングと「カブトムシ」の2つの意味の「BEATLES」を思いつかれたのでした。

「ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ」に改名

しかし、ポールさんたちにクラブ出演を依頼してきたブライアン・キャスさんは、「BEATLES」を使うことに難色を示し、「ロング・ジョン&ピーシズ・オブ・シルヴァー」という名前に改名することを出演の条件とされたそうで、

ポールさんたちは話し合いの末、お互いに譲歩して、「ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ」と称することに。

ただ、その後、「ロング・ジョン」の部分が除かれて、「The Silver Beetles(シルヴァー・ビートルズ)」と名乗るようになると、

1960年8月のハンブルクツアー(西ドイツ)で出演したライブ「カイザー・ケラー」の広告には、「The Beatles」と記載されており、最終的には、なしくずし的に、当初の希望されていた「The Beatles」名乗るようになったのでした♪

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ピート・ベストが「The Beatles」に加入

さて、ジョンさんたちはプロになるきっかけを探して、かねてから頻繁に通っていた「ジャカランダ」というナイトクラブのオーナーの、アラン・ウィリアムズさんに仕事の斡旋(あっせん)を頼み、仕事を得ていたのですが、

1960年8月、そのアランさんのもとに、ハンブルク(西ドイツ)の知人のブルーノ・コシュミダーさんから、自身の経営するクラブで演奏するバンドを紹介してほしいというオファーが来ます。

ただ、コシュミダーさんが、ドラムを含めた5人編成でのバンドを希望していたことから、当時、ドラムスがいなかった「The Beatles」は、急遽、ドラムスを探すことに。

そこで、ポールさんとジョンさんが「ザ・クオリーメン」時代に拠点として活動をしていた、「カスバ・コーヒー・クラブ(Casbah Coffee Club)」の経営者の息子・ピート・ベストさんがドラムスをやっていたことを思い出し、ピートさんを誘うと、ピートさんは承諾。

こうして、「The Beatles」は、ジョンさん、ポールさん、ジョージさん、スチュアートさん、ピートさんの5人で意気揚々とハンブルグに向かわれたのでした。

「ビートルズのハンブルク時代はジョンがパンツ一丁でステージに!」に続く

(左から)ピート・ベストさん、ジョージ・ハリスンさん、ジョン・レノンさん、ポール・マッカートニーさん、スチュアート・サトクリフさん。(タップで拡大します)

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