3、4歳の頃、13歳年上のお兄さんに初めて喜劇に連れて行ってもらったことがきっかけで、たちまち喜劇にハマった、伊東四朗(いとう しろう)さん。その後、12歳の時に、お兄さんのアマチュア劇団で初舞台を踏むと、ますます、お芝居(喜劇)にハマっていきます。

「伊東四朗の生い立ちは?3歳にして流行歌を歌っていた!」からの続き

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当初はイジメられるもモノマネで人気者に

1941年に「太平洋戦争」が始まり、1945年3月10日未明には、「東京大空襲」に見舞われたことで、身の危険を感じた伊東さん一家は、お母さんの故郷である、静岡県掛川市に一家で疎開されます。

当初、伊東さんは、東京弁のせいで、疎開先の学校ではいじめられたそうですが、休み時間に、当時、人気歌手だった田端義夫さんほか、落語家、俳優などのモノマネを披露するうち、次第にクラスの人気者になっていったそうです。

トロッコの車輪に左頬がえぐられる大ケガ

そんな伊東さんですが、小学3年生の時、工場跡地のトロッコに乗って遊んでいると、トロッコが暴走し転倒。伊東さんは、回転している車輪に左頬がぶつかり、頬の肉がえぐられるという大ケガを負ってしまいます。

傷は、骨に達するほどの重傷で(あと3センチずれていれば失明していたそうです)、伊東さんは、左頬に、今も残る大きな傷跡ができてしまったのでした。

12歳にして兄のアマチュア劇団で初舞台

その後、戦争に行っていた一番上のお兄さんが、マラリアにかかったことから疎開先の掛川市に復員されると、お兄さんは、そこで、アマチュア劇団を設立されたそうで、

伊東さんは、お兄さんに頼まれ、1949年、12歳の時、浮浪児役で初舞台を踏まれるのですが、

映画館の館主が座員にいたことから、映画館にはタダで入れたそうで、伊東さんは、喜劇にハマり、「アボットとコステロ(Abbott and Costello)」、「ローレル&ハーディ(Laurel and Hardy)」、レッド・スケルトン、ハロルド・ロイド、チャーリー・チャップリンなど、コメディアンや喜劇役者の映画を食い入るように観たのだそうです。

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喜劇にのめりこむ

また、伊東さんは、中学校に入学すると、英語部に入部し、文化祭では英語劇を披露されたそうですが、

「さるかに合戦」
の猿役をやった時のこと、ふと、

最後に1人だけ閉まりそうな幕の外に出たらどうなるか?

と思い、実際、幕が伊東さんの背後で閉まった際、「いけね」と頭をかくと、お客さんはバカウケ。

伊東さんは、その時の喜びが忘れられず、ますますお芝居(喜劇)にのめり込んでいったのでした。

「伊東四朗は人相の悪さで就職試験がことごとく不合格だった!」に続く

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