現在では女優のイメージしかない、岩下志麻(いわした しま)さんですが、実は、子どもの頃は、とても霊感が強く、不思議な体験を数多くされたそうで、非日常的な体験をするうちに、人間の精神の奥底を分析することに興味を持ち、精神科医を目指したといいます。

「岩下志麻の父親は新協劇団の俳優!母親も弟も伯父も伯母も俳優!」からの続き

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幼少期に生死の境をさまよう臨死体験

岩下さんは、「新協劇団」の俳優・野々村潔さんと新劇の女優・山岸美代子さんの間に、2人姉弟の長女として誕生するのですが、3歳の時には「はしか」「肺炎」を併発して生死の境をさまよい、突然脈が止まって、医師に「ご臨終です」と言われたといいます。

ただ、この言葉に家族ががっくりする中、おばあちゃんだけが諦めず、幼い岩下さんの足の裏に、何か薬草を練ったものを塗り、ずっとマッサージを続けられると、しばらくして、ポツンと脈が戻ったのだそうです。

そして、目を開けた岩下さんは、

お花が綺麗……

と、言ったそうですが、

臨死体験(生死の境をさまよう体験)において、日本人の場合、お花畑や三途の川が見えることがよくあるそうで、岩下さんの場合も、生死の境をさまよったことで、お花畑が見えたのかもしれませんね。

祖母の死を予知夢で見ていた

ちなみに、岩下さんの足の裏を必死にマッサージしてくれたおばあちゃんは、岩下さんが小学校4年生の時に他界されているのですが、

岩下さんは、明け方、おばあちゃんが戸板に乗せられて10人くらいの小人の男にダーッと運ばれていく夢を見たそうで、その1時間後に、おばあちゃんは亡くなったのだそうです。

(岩下さんは、その後も、出産するまで、数多くの不思議な体験をされたそうですが、そのような不思議な体験をするたび、すごく疲れてしまい、若い頃はダウンしてしまうことがよくあったそうです)

「前進座」の「屈原」の王妃が屈原によりかかる演技に惹かれる

そんな岩下さんは、子どもの頃は、特に女優になりたいと思っていた訳ではなかったそうですが、岩下さんの叔母さん(お母さんのお姉さん)の山岸しづ江さんと、「前進座」のリーダーだった河原崎長十郎さんとの結婚を機に、岩下さん一家が「前進座」の近くで暮らすようになると、「前進座」によく出入りするようになったそうです。

そして、岩下さんが、小学6年生の時、「前進座」のお芝居で、中国の文学者・郭沫若(かくまつじゃく)の戯曲を原作とする、五幕戯曲「屈原(くつげん)」の第2幕の、王妃がめまいがして屈原によりかかったところに、ちょうど王様が来て、二人の仲を誤解し、激怒して屈原を牢屋に入れるというシーンの(この王妃の行動は屈原を陥れる策略だった)、

王妃が「ふわふわっ」と屈原に倒れかかる演技に、なぜか惹かれたそうで、1ヶ月の公演中、

アイスクリーム売りを手伝う

と、理由をつけて、毎日、そのシーンを見に行かれたそうで、

岩下さんは、後に、

人間の毒や悪を見たというか。そういうものに感受性が強かったのかな。女優になって、悪女を演じることも多かったでしょう?振り返れば、あれが原点なのかなと思います。

と、語っておられます。

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精神科医を志すも高2の時に病気で留年し断念

とはいえ、岩下さんは、この時はまだ女優になりたいと思っていた訳ではなく、(いつ頃からかは不明ですが)精神科医を志し、猛勉強に励んでいたそうです。

ただ、その無理がたたったのか、高校2年生の時、原因不明の熱が出て、最終的には「小児リウマチ熱」と判明したそうで、

投薬治療で完治するも、学校は1年留年となって、精神科医になることを断念せざるを得なくなってしまったそうで、

いままでやっていたことは何だったんだろう

と、目標を見失ってしまったといいます。

そんな岩下さんは、精神科医を目指した理由について、後に、

近所に精神的な病を抱える人がいて、からかわれていたのを見たんです。なんとか助けたい、力になりたいと思ったのがきっかけです。

とも、(別のインタビューでは)

人間の精神の奥底を覗いてみたい、という興味からだったと思う。

とも、おっしゃっていました。

「岩下志麻は昔デビュー当初はイジメられていた!」に続く

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