2010年9月26日に「肺腺ガン」のため76歳で亡くなった、池内淳子(いけうち じゅんこ)さんですが、実は、その3年前の2007年4月にはガンの存在が発覚しており、人知れず治療をされていたといいます。
「池内淳子のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き
肺腺ガン発覚も抗ガン剤治療でドラマ復帰
池内さんは、2007年4月、胸に違和感を覚えたことから検査入院されると、「間質性肺炎及び胸水貯留」で3ヶ月の安静と治療が必要と診断され、翌5月から予定されていた舞台「怪談牡丹灯籠」の全国公演を降板されているのですが、
実は、この時、右肺の上葉に腫瘍も見つかり、「間質性肺炎」の治療をしつつ、腫瘍を調べると、「肺腺ガン」と判明。
ただ、池内さんは、ガンは公表せず、抗ガン剤治療をされたそうで、その甲斐あって、6月には腫瘍がほぼ消失したことから退院。8月にはドラマにも復帰されたのでした。
ガン再発も周囲には隠して舞台「三婆」に出演し続けていた
その後、池内さんは、月2回通院して、抗ガン剤治療を続けていたそうですが・・・
2010年3月には、再発していることが判明。
ただ、4月からは、池内さんが1998年からライフワークとされていた主演舞台「三婆(さんばば)」の公演が控えていたことから、池内さんは「最後まで仕事をやり遂げたい」と舞台を優先することを決意されたそうで、周囲にはガンを隠し、舞台に立ち続けたのでした。
2010年2月に行われた舞台「三婆」の製作発表記者会見より。(左から)多岐川裕美さん、池内さん、野川由美子さん。
(関係者いわく、「病気であることをまったく感じさせず、座長としても周囲に気配りしていました」とのことでした)
死因は肺腺ガン
そんな池内さんは、4月5日の「博多座」で、舞台「三婆」主演通算400回を達成すると、
こんなにいいご褒美はありません
と、笑顔で話し、
5月16日の「中日劇場」で441回目の千秋楽を迎えた際、カーテンコールで共演者が、
また池内さんに雇ってもらって、やりたいですね
と言うと、
池内さんも、
ぜひやりたいわね
と、通算500回公演への意欲も見せられていたのですが・・・
その直後に治療を再開されるも、8月中旬には再入院。9月中旬には容体が悪化し、9月26日午後4時21分、妹の中沢修子(なかざわ のぶこ)さんらご家族に看取られて、都内の病院で息を引き取られたのでした。
(死因は「肺腺ガン」。享年は76歳でした。)
お別れ会には800人が参列
ちなみに、池内さんの葬儀・告別式は、近親者のみで行われたのですが、77回目の誕生日となるはずだった11月4日には、「お別れの会」が東京・帝国ホテルで開かれると、石井ふく子プロデューサー、長山藍子さん、宇津井健さん、三浦友和さん、天海祐希さんら友人と関係者600人に加え、ファン200人が参列。
池内さんの代表作「女と味噌汁」で共演されて以来、45年に渡って、姉のように池内さんを慕っていたという、長山藍子さんが、
お姉ちゃん。今日は77歳の誕生日。本当なら喜寿の誕生日のお祝いするはずだった。今も私は途方に暮れています。人を愛して、いつもどんな時でも周りの方たちに細かい気配りをされるのを忘れなかった。
「女と味噌汁」以来、たくさんのことを教えていただき、導いていただいた。お姉ちゃん、お疲れさま。
と、涙ながらに弔辞を読まれると、
「女と味噌汁」「渡る世間は鬼ばかり」などでコンビを組んだテレビプロデューサーの石井ふく子さんも、
50年以上の付き合いでした。池内さんの初舞台の演出もし、不思議な縁というか、お互いに付かず離れずの関係だった。
「喜寿のお祝い、しようね」って言ったら、「それまでに元気になるから大丈夫」って言ったけど、大丈夫じゃなかったじゃない。年下なのに、お別れの会をしなきゃいけないのが悔しい
と、涙を流し、
50年来の付き合いで、「渡る世間は鬼ばかり」をはじめ、何度も夫婦役で共演された宇津井健さんも、
毎日舞台の開演前にお茶をたてて「だんなさま」と楽屋に持ってきてくれた。とにかく美しい方でした。外見も、動作も言葉も…何より心がキレイでした。
親友でした。つらい
と、瞳を潤ませたのでした。
さて、いかがでしたでしょうか。
池内さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- スカウトされ新東宝に入社
- 新東宝の看板女優として
- 結婚して引退するも翌年には離婚し復帰
- 「日日の背信」で人気女優へ
- 「社長シリーズ」「けものみち」などで実力派女優としての地位を確立
- 「女と味噌汁」で国民的テレビドラマ女優へ
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 受賞・受章歴
- 肺腺ガン発覚も抗ガン剤治療でドラマ復帰
- ガン再発も周囲には隠して舞台「三婆」に出演し続けていた
- 死因は肺腺ガン
- お別れ会には800人が参列
について、まとめてみました。
輝かしい女優人生の陰で、あまり私生活を明かされることのなかった池内さんですが、お母さんの介護を1991年から7年以上にわたり、在宅でされていたようで、
池内さんは、そのことについて、1998年、雑誌のインタビューで、
母の介護は、神様が与えてくれた試練だと思っています。還暦を迎えた年になっても母がいるのはありがたいことです。
と、おっしゃっています。
骨折して歩けなくなってから、寝たきりになってしまったお母さんが、1日でも自分のそばで長生きしてほしいとの思いから、在宅介護を決断されたという池内さんですが、
離婚、お母さんの介護ほか、こうした様々な経験も、池内さんを大女優にならしめた大きな要素だったのかもしれません。
ご冥福をお祈り致します。
池内淳子さんの「お別れの会」より。