1969年、19歳の時、ファーストシングル「ダニエル・モナムール」でデビューすると、1972年には、一旦、芸能界を引退するも、1981年に復帰し、その後は、女優としても活動されている、辺見マリ(へんみ まり)さん。今回は、そんな辺見さんのデビューからの出演作品とディスコグラフィを画像を交えてご紹介します。
「辺見マリの再婚相手は14歳年下の宝石デザイナー!離婚理由は?」からの続き
出演作品(映画)
それではここで、辺見さんのデビューからの主な出演作品をご紹介しましょう。
映画では、
1970年「なにがなんでも為五郎」
「経験」
1971年「めまい」
1981年「ヨコハマBJブルース」
1982年「この子の七つのお祝いに」
1985年「ユー・ガッタ・チャンス」
「ヨコハマBJブルース」より。松田優作さんと辺見さん。
「この子の七つのお祝いに」より。岩下志麻さん(左)と辺見さん(右)。
出演作品(テレビドラマ)
テレビドラマでは、
1980年「陽気な逃亡」
1981年「プロハンター」第16話
「私はタフな女」
1982年「裂けた眠り・人妻を狙う催眠術の甘い罠」
「松本清張の『顔』」
「プロハンター」より。
1983年「時代劇スペシャル/秘剣揚羽蝶 源氏九郎颯爽記」
「青春前後不覚」
「松本清張の『断線』」
1984年「女ざかり」
1985年「少女に何が起ったか」
1986年「ヨロン島の謎 私が美人歌手を殺した!」
2007年「浅草ふくまる旅館」
「暖流」
2016年「家売るオンナ」第3話
「家売るオンナ」より。
などに出演されています。
ディスコグラフィ(シングル)
また、シングルは、
1969年「ダニエル・モナムール」
1970年「経験」
「私生活」
「ダニエル・モナムール」
「経験」
「私生活」
1971年「めまい」
「太陽に走る女」
「愛のカフェテラス」
「サンドラの恋」
「めまい」
「太陽に走る女」
「愛のカフェテラス」
「サンドラの恋」
1980年「ルネッサンス」
「燃えて刹那」
1981年「きらめきの舞い」
1992年「白夜」
1998年「Good-bye あばよ」
「ルネッサンス」
「燃えて刹那」
「きらめきの舞い」
「白夜」
「Good-bye あばよ」
ディスコグラフィ(オリジナルアルバム)
オリジナルアルバムは、
1971年「マリとあなたの部屋」
「20才の女」
2001年「Love Letters」
「マリとあなたの部屋」
「20才の女」
「Love Letters」
などをリリースされています。
セカンドシングル「経験」の振り付けは自ら考案していた
ところで、辺見さんは、セカンドシングル「経験」で、「やめて」というフレーズを吐息混じりに歌い、セクシー歌手として人気を博したのですが、
実は、デビュー曲「ダニエル・モナムール」でも、当時流行していたフレンチ・ポップスを意識して、彼への愛の告白をテーマにフランスの香りを漂わせ、セクシーさを意識して歌っていたのだそうです。
しかし、セールスはというと、シングルランキング35位といまいち。
そこで、
次は1位か2位のヒットを飛ばさないと、終わっちゃうんじゃないか‥‥。
と、焦り、
セカンドシングル「経験」をもらった時には、
どうやったら顔を隠さず、だけどみんなに印象づける手の振りになるかな
と、テレビ局の化粧部屋で鏡に向かって研究を重ねたそうで、
ちょうどスペイン系のハーフだということを両親から聞いたばかりで、フラメンコを習い始めていたことから、このフラメンコと、4歳から習っていたバレエのアレンジを加えることを思いつき、セカンドシングル「経験」では、情熱的な手のフリ(フィンガーアクション)を振り付けに取り入れると、ヒットとなったそうで、
辺見さんは、
スタッフもみんな私の意見を取り入れてくれて、自由な時代でしたよね。親からの思いがけない告白、フラメンコ、バレエ、いろんな経験が重なって、「経験」はヒットした気がします。
と、語っておられます。
さて、いかがでしたでしょうか。
辺見さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- 幼少期に両親が離婚
- 母親の再婚相手にとても可愛がられ実の父親だと思っていた
- 小学3年生の時の将来の夢はバレリーナ
- 中学3年生の時に布施明が出演するイベントでスカウトされる
- 両親は渋々ながら芸能界入りを賛成
- デビューに向けて歌のレッスンを開始する
- なかなかデビューが決まらなかった
- 19歳でデビューが決まる
- 母親から実の父親でないことを明かされるもショックはなかった
- 「やめて~」の「経験」が大ヒット
- デビューするも芸能界に嫌気が差し始めていた時に西郷輝彦と知り合う
- 西郷輝彦と交際に発展
- 西郷輝彦にベタぼれだった
- 21歳という若さで結婚を決意していた
- ひっそりと引退していた
- 結婚式は軽井沢で辺見の両親と西郷の友人1人と女性週刊誌の記者1人だけで
- 新婚生活に幸せを感じていた
- 西郷輝彦が家に帰って来なくなっていた
- 西郷輝彦が3回目の蒸発~別居2年~離婚
- 本当は芸能界に未練を感じていた?
- 自由な夫・西郷輝彦が許せなかった?
- 芸能界復帰を望み始めていた?
- 西郷輝彦の両親とうまくいっていなかった
- 辺見マリの両親が娘を芸能界に復帰させることを望んでいた
- 辺見マリはいつも両親と一緒に西郷輝彦と話し合っていた
- 西郷輝彦と25年ぶりの共演で涙
- 「拝み屋」Kをマネージャーから紹介される
- 「拝み屋」Kの話に魅力を感じ引き込まれていく
- 「拝み屋」Kは未来も予言するようになっていた
- 当初は自ら「厄払い料」を支払っていた
- 自分から修行をしたいと願い出ていた
- 「拝み屋」グループと共同生活をしながら修行をしていた
- 「拝み屋」のギャンブル代2000万円も負担していた
- 娘・辺見えみりの契約金もお布施につぎ込んでいた
- 芸能界に復帰させられる
- ヘアヌード写真集を出版させられる
- ダイエット教室に生きがいを感じるようになる
- 「拝み屋」が生徒の入会金2000万円を持ち逃げしたことで洗脳から脱する
- 「拝み屋」の行方はいまだ分かっていない
- 再婚相手は14歳年下の宝石デザイナー
- 初対面の印象はお互い最悪だった
- 誕生日に再婚
- 離婚理由は?
- 元夫の毒の強さで「拝み屋」を撃退していた
- 息子は辺見鑑孝(へんみ のりたか)
- 娘はタレントの辺見えみり
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- ディスコグラフィ(シングル)
- ディスコグラフィ(オリジナルアルバム)
- セカンドシングル「経験」の振り付けは自ら考案していた
について、まとめてみました。
ダマされて周囲に迷惑をかけたりしながらも、またこうやって歌えているのは、家族やみんなのおかげですよね。
最近では女性のファンも増えました。昔は世の妻の敵というか、「そんな色気を振りまいて!」と女性から反感を買っていたこともありました。
それが、私にいろんなことがあったせいで、今では「何でも相談したい人」になってますから(笑)。だからこそ何か世の中に恩返しができないかなと思い、なるべくデビュー時代と雰囲気だけは変わらないように、同じ時間に御飯を食べて、早寝早起き。そしてスタイルを保つ!
私にマジメっていうイメージないでしょう? みんなが描いている「やめて~」の色っぽいオバさんだけじゃないんですよ(笑)。
でもね、最近はようやくグレーの部分も見つけられるようになり、今は充実してます。これもやっぱりいろんな“経験”のおかげですね。
と、語っていた辺見さん。
とても70歳には見えない若々しいルックスは、辛すぎる経験をすべて糧にして充実している現れだったのですね。これからも、末永いご活躍を期待しています♪
「辺見マリは幼少期に母親の再婚相手にとても可愛がられていた!」