歌手・西郷輝彦さんと離婚後は芸能界に復帰するも、その後、「拝み屋」なる人物に13年に渡って洗脳されていたという、辺見マリ(へんみ まり)さんですが、そんな中でも新たな出会いがあったようです。

「辺見マリが洗脳から脱したのはダイエット教室がきっかけだった!」からの続き

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再婚相手は14歳年下の宝石デザイナー

辺見さんは、2001年、14歳年下の宝石デザイナー・河澄信介さんと再婚されています。

辺見さんは、1988年から2001年、約13年に渡って、「拝み屋」グループに洗脳され、総額5億円もの大金を貢がされてしまったのですが、

2000年、この状況から、なんとか抜け出そうとあがいていた頃、宝石の見立てをするイベントの仕事で札幌に行った際、そのイベントを主催していた、宝石販売会社の河澄さんと知り合われたそうです。

(当時、辺見さんは、借金や「拝み屋」グループにがんじ絡めにされ、頭では早く抜け出さなければと分かっていてもなかなかできず、自殺を考えるほど、身も心もボロボロになっていたそうです)

初対面の印象はお互い最悪だった

ただ、初対面の印象はお互い最悪だったそうで、辺見さんが、仕事の内容が聞いていたものと違っていたことから、「聞いてない」と突っぱね、終始不機嫌でいると、

河澄さんも、そんな辺見さんを「とんだ勘違いヤロウ」だと感じ、「気に入らなければやめてもいい」と言っていたそうで、二人の間はピリピリムードだったそうです。

誕生日に再婚

それでも会場には、すでにお客さんが集まっており、お客さんをがっかりさせる訳にもいかず、辺見さんは笑顔で最後まで仕事をされると、

仕事を通して、河澄さんの人柄が分かり、河澄さんもまた、辺見さんの気持ちを理解されたそうで、打ち解け、その後も一緒に仕事をするようになったそうで、数カ月後には交際に発展。

こうして、辺見さんは、河澄さんと出会って1年後の2001年10月5日、辺見さんの誕生日に再婚されたのでした。

離婚理由は?

しかし、4年後の2005年には離婚。

辺見さんは、都内で記者会見を開くと、2人の結婚記念日の10月5日に食事をした際、

以前はハッキリ何でも言えたのに、捨てられるのが怖くて何も話せなくなっていた。大事な日なのに

と、離婚の予感を感じたことから、10月7日、辺見さんが家を出て、離婚に向けて話し合い、10月28日、辺見さんが離婚届を提出したことを発表。

離婚理由については、

彼がだんだん忙しくなって私をかえりみなくなった

結婚は理解と尊敬。私が大きな器じゃなくて理解できなかった

彼に気に入られようとして合わせて、自分らしさを失うのも、こわかった

などと、明かされています。

ちなみに、一部メディアでは、河澄さんの浮気や金銭トラブルが離婚原因だと報じられていましたが、

辺見さんは、河澄さんの浮気については、過去に2回あったと認めたものの、

それが原因ではない。男はそういう生き物。私をフォローしてくれれば問題ない

と、離婚原因であることは否定。

また、河澄さんの金銭トラブルに関しても、

ないです。精神的なことが一番の原因

と、否定されており、

それどころか、

彼は責任感の強い人。一生懸命働いて、私たちを養おうとしてくれた

と、感謝の念を述べられています。

元夫の毒の強さで「拝み屋」を撃退していた

ところで、辺見さんによると、河澄さんと結婚された時、辺見さんには、まだ、「拝み屋」がらみの借金が5000万円あったそうですが、

夫は私より14歳も年下でしたが、完全な亭主関白。物事をハッキリ言う性格で、時には私にもキツい物言いで批評や注意をしてきました。

そんな夫がいつも私のそばにいるようになったことで、それまで長い間、私にまとわりついていた“拝み屋”がらみの人脈が次第に遠ざかってゆき、ようやく縁を切ることができたのです。

もっとも、2度目の夫とは4年後に離婚しています。正直に言えば、この結婚に関しては思い出したくないこともたくさんありました。

ただ、ひとつだけ言えるのは、あの人と出会っていなければ、地獄のようなマインドコントロールの日々から抜け出すことはできなかったということです。私をとらえていた洗脳の鎖を完全に断ち切るためには、あれくらい強い“毒”を持つ人でなければ無理だったはずです。

と、辺見さんが「拝み屋」の洗脳から完全に抜け出すことができたのは、河澄さんの力によるところが大きかったようです。

息子は辺見鑑孝(へんみ のりたか)

最後に、辺見さんのお子さんですが、最初の夫の西郷輝彦さんとの間に、男の子と女の子が一人ずつ誕生しており、息子さんは、1973年に誕生した辺見鑑孝(へんみ のりたか)さんです。


辺見鑑孝さん。

鑑孝さんは、1991年、18歳の時から、タレントマネージメント業を始められるのですが、その後、ミュージシャンに転向。

2001年には、myco(まいこ)さん、田辺晋太郎さんとともに、3人組ユニット「Changin’ My Life」のリーダーとして、シングル「Luv.Remix」でデビューされると、

2003年には、「Changin’ My Life」を脱退して、ロックバンド「爆音カフェ」(2005年、「VANVY CROW」に改名)のリーダー兼プロデューサーとして活動。


(左から)辺見鑑孝さん、mycoさん、田辺晋太郎さん。

その後は、プロデュース業からも手を引くと、お母さんである辺見さんの個人事務所「株式会社辺見プロモーション」の代表取締役を務められていたようですが、それも解散し、現在は、芸能プロモーターとして、裏方として活動されているそうです。

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娘はタレントの辺見えみり

そして、1976年に誕生した長女は、辺見えみりさんで、1993年に「いちご白書」で女優デビューすると、1995年には、バラエティ番組「スーパーJOCKEY」で、かわいい顔に似合わない、歯に衣着せぬ毒舌で、一躍人気を博し、

その後は、主にバラエティで活躍するほか、女優としても、テレビドラマ、映画、舞台に出演し、幅広く活動されています。


辺見さん(左)と娘の辺見えみりさん(右)。

ちなみに、えみりさんは、プライベートでは、2006年、お笑い芸人の木村祐一さんと結婚されるも、2008年には離婚。2011年には、俳優の松田賢二さんと再婚し、2013年には女の子を出産するも、2018年には松田さんとも離婚されています。

(辺見さんは、この出産に立ち会ったそうで、この時からおばあちゃんになられています♪)

「辺見マリのデビューからの出演ドラマ映画とディスコグラフィを画像で!」に続く

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