中学生の時、ファンだった「フォーリーブス」に会いたいと思い、「フォーリーブス」のバックで踊る「スクールメイツ」に自ら応募すると、見事合格した、伊藤蘭(いとう らん)さんは、1972年、高校3年生の時には、NHK「歌謡グランドショー」のマスコットガールとして選ばれた、田中好子さん、藤村美樹さんとともに、「キャンディーズ」を結成することになります。

「伊藤蘭の生い立ちは?中2の時に自ら「スクールメイツ」に応募!」からの続き

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「キャンディーズ」結成当初は番組のアシスタントだった

「スクールメイツ」のメンバーに選ばれ、ほぼ毎日のように、コーラスや振り付けのレッスンを受けていた伊藤さんは、1972年、高校3年生の時には、NHK「歌謡グランドショー」のマスコットガールのオーディションを受けると、見事合格。

すると、同時に合格した、田中好子さん、藤村美樹さんとともにトリオを結成することになり、番組プロデューサーから「食べてしまいたいほどかわいい女の子たち」という意味を込めて「キャンディーズ」と命名されます。

ただ、3人とも、「スクールメイツ」の中では、特に目立つ存在ではなかったことから、「歌謡グランドショー」でも、マスコットガールとしての仕事(番組の宣伝、アシスタント業務、椅子・マイク運び、代理音合わせなど)が大半をしめていたそうで、レコードデビューの予定は全くなかったのだそうです。


NHK「歌謡グランドショー」時代の「キャンディーズ」。(左から)藤村美樹さん、伊藤さん、田中好子さん。

「キャンディーズ」として「あなたに夢中」でデビュー

そんな中、ある日、たまたま、「東京音楽学院」に訪れていた、音楽プロデューサーの松崎澄夫さん(現・芸能プロダクション「アミューズ」社長)が、教室に入ってきた、伊藤さんたち「キャンディーズ」の3人を見て、「かわいい子がいる」と目を留めたそうで、

その後、松崎さんが、担当者にレコードデビューの予定を聞くと、「未定」との返事だったことから、松崎さんは、そのまま、「キャンディーズ」の歌手デビューを決定。

「キャンディーズ」は、1973年9月、ファーストシングル「あなたに夢中」でデビューを果たしたのでした。


「あなたに夢中」

デビュー当初はパッとしなかった

が、しかし、人気はパッとせず、

その後、

1974年1月「そよ風のくちづけ」
     4月「危い土曜日」
     9月「なみだの季節」


「そよ風のくちづけ」


「危い土曜日」


「なみだの季節」

と、立て続けにシングルをリリースするも、いずれもヒットとはならなかったのでした。

ちなみに、伊藤さんは、「キャンディーズ」結成当初のことを、

3人共オーディションに受かってのことだったので、すごくうれしかったです。最初は生放送の歌番組のアシスタント的な役目でしたが、月に1回歌わせてもらい精いっぱいやりました。

その後のレコードデビューも喜びでした。でもどんどん忙しくなり、何事も練習時間が少なくなって、もう少しなんとかならないのかしらと思うこともありました。

不安なまま舞台に立ち、何回も歌えないのにレコーディングになる。いつも余裕がなくて。納得のいくまでレッスンができないというジレンマはありました。

と、語っておられます。

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センターを伊藤蘭に変更した「年下の男の子」が大ヒット

しかし、当時のマネージャー・諸岡義明さんが、3人の中で伊藤さんだけがファン層が異なることに気づき、それまで、田中好子さんが務めていたセンター(メインヴォーカル)を伊藤さんに変更して、伊藤さんの持つ「お姉さん的」なキャラクターを前面に押し出し、

(デビュー当初から、センター(メインヴォーカル)は、最年少でありながら、3人の中で最も歌唱力の高かった田中好子さんが務めていました)

1975年2月、伊藤さんをイメージして5枚目のシングル「年下の男の子」を発売すると、いきなり、オリコン9位にランクイン。同年末には、「第26回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たすなど、一躍、人気を博します。


「年下の男の子」

すると、その後も、

1976年3月「春一番」
1977年3月「やさしい悪魔」
     6月「暑中お見舞い申し上げます」


「春一番」


「やさしい悪魔」


「暑中お見舞い申し上げます」

と、立て続けにヒットを連発し、「キャンディーズ」は、瞬く間にスターダムへと駆け上ったのでした。

「伊藤蘭は昔「キャンディーズ」時代はドリフや伊東四朗とコントをしていた!」に続く

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