お母さんが食べ物を求めて農家を回らなければならないほど、貧しいうえに、お父さんからは、教育と虐待が入り混じった暴力を受けて育った、アーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)さんですが、やがて、ボディビルディングと出会い、夢中になります。
「シュワルツェネッガーの幼少期は父親から虐待を受けていた!」からの続き
少年時代はスポーツに親しんでいた
お父さんから、暴力を伴う厳しい教育に加え、週に1~2日は泥酔して虐待を受けていたという、シュワルツェネッガーさんですが、
カーリング競技のチャンピオンに輝いたこともあったというお父さんからは、カーリングのほか、サッカー、スケート、そり遊びなど、教えてもらったそうで、シュワルツェネッガーさんは、サッカーチームに入っていたそうです。
15歳の時ボディビルダーに憧れる
そんなシュワルツェネッガーさんは、13歳の時、サッカーチームのコーチがメンバーをジムに連れて行ってくれたことから、そこで初めてウェイトトレーニングというものを経験したそうですが、
それから、2年ほど経った、15歳のある日のこと、自宅近くのターラー湖畔で、ボディビルダーたちがトレーニングをしているのを見て、とても強い感銘を受けたそうで、ボディビルダーたちの鍛え上げられた身体に憧れ、本格的にトレーニングを始めたそうです。
また、様々なスポーツをするも、どれも熱中するほど好きになれずにいた中、初めてバーベルを握りしめた瞬間、
これこそ自分の求めていたものだ。これにすべてをかけよう
と、決意し、同時に、
オレは世界で最も発達したからだの男になる!
と、誓った、という説もあるようです。
伝説的なボディビルダー・レッグ・パークに憧れる
さておき、ボディビルディングのチャンピオンになる決意をしたシュワルツェネッガーさんは、その後、伝説的なボディビルダーで俳優である、レッグ・パークさんがヘラクレスのポーズをしている表紙の雑誌を見つけ、購入して読んだところ、レッグさんが1日5時間トレーニングしていることを知ったそうで、
これぞ、3回もチャンピオンになれる方法であり、アメリカに移住できる方法だと感じ、以来、レッグさんを真似て、1日5時間のトレーニングに励むようになったそうですが・・・
(レッグ・パークさんは、ミスター・ユニバース(ボディコンテスト)で、1951年、1958年、1965年と、3度チャンピオンに輝いています)
映画「ヘラクレス」でヘラクレスに扮するレッグ・パークさん。
ボディビルディングは「変人」という偏見があった
当時のオーストリアでは、「ボディビルディングは体に悪い」という迷信が根付き、ボディビルディングをする人は変人という偏見があったことから、お母さんは怪訝(けげん)な顔をし、友達からも「なんでボディビルディングなんてバカげたことをやるんだ」と変人扱いされたそうで、
シュワルツェネッガーさんは、後に、
母親が僕のことをゲイだと思ったのか、ただ何かがおかしいと思ったのかは分からないけど、早いに越したことはないってことで僕は病院に連れて行かれたんだ。
そして母は医者に『助けてください、私の息子の何がおかしいか分かりませんが、部屋には裸の男性の写真がいっぱい貼ってあるんです。アーノルドの友達はみんなベッドの天井に女の子の写真を貼ってあるのに、アーノルドの部屋には1枚も女の子の写真がないんです』って訴えたのさ
と、お母さんからとても心配されたことを明かされています(笑)
女の子から変人扱いされ嫌われていた
ちなみに、シュワルツェネッガーさんは、男友達から変人扱いされても、
奴らはオレの体に劣等感をいだいているからだ
と、さほど気にすることはなかったそうですが、
ボディビルディングをする以外は、至って普通の、年頃の青年だったことから、女の子を追いかけ回しては、しつこくデートに誘ったそうですが、
女の子たちからは、鍛えられた肉体に嫌悪感を抱かれ、変人と相手にされず、相当落ち込んだそうです。
それでも、シュワルツェネッガーさんは、
世界一になる
という大きな目標のため、ますますトレーニングに打ち込まれたのだそうです。
「シュワルツェネッガーはJr.Mr.ヨーロッパに優勝しスカウトされていた!」に続く
若い頃のシュワルツェネッガーさん。