元ナチス党員で警察署長だった父親のもと誕生すると、暴力を伴う厳しい教育を受けて育ったという、アーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)さんですが、それ以外にも、日常的に泥酔しては虐待されるという、辛い苦しい少年時代を送っていたようです。

「シュワルツェネッガーの父親はナチス党員だった!」からの続き

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泥酔した父親から日常的に虐待されていた

元ナチス党員で警察署長だったお父さんからは、暴力を伴う厳しい教育を受けていたという、シュワルツェネッガーさんですが、そのほか、週に1~2日は泥酔しては虐待されて育ったそうで、

2021年のスピーチでは、

私は民主主義を失った国の、荒れ果てた場所で育ちました。第二次世界大戦の終戦から2年後の1947年に生まれました。

周りの大人たちは、史上最も邪悪な政権に加担した罪悪感から、酒に溺れていました。全員が反ユダヤ主義者やナチスではなかったけれど、多くは一歩ずつ、追従して行ったのです。彼らは隣に暮らす人々でした。

これから話す記憶は、今まで公に語ったことはありませんでした。とても辛い記憶だからです。

父は週に1、2回、泥酔して帰宅すると、叫び、家族を殴り、母を脅しました。ですが私は、父を完全に責めることはできませんでした。隣の家も、そのまた隣の家でも、同じように暴力が行われていたからです。私自身の耳で聞き、この目で見たのです。

彼らは戦地で体にけがを負い、自らが目にしたこと、行ったことで精神的な傷を負いました。

と、語り、

別のインタビューでは、

当時のオーストリアは、とても異質な世界だった

とも、語り、すさみきった環境の中で育ったことを明かされています。

父親は兄だけをかわいがっていた

また、お父さんは、成績優秀でがっしりした体格だった兄・マインハルトさんのことがお気に入りで、次男のシュワルツェネッガーさんのことは(成績は優秀だったが、幼い頃は病弱だったことで)自分の子どもではないのではないかと、根拠もなく疑い、シュワルツェネッガーさんの問題に耳を傾けたり、理解しようとはしてくれなかったそうです。

ちなみに、兄・マインハルトさんは、1971年、飲酒運転の事故で即死、翌年の1972年には、お父さんが、脳卒中で他界しているのですが、シュワルツェネッガーさんはどちらの葬式にも参列しなかったそうで、

当時の恋人・バーバラ・ベイカーさんによると、シュワルツェネッガーさんは、一度もお兄さんについて話したことがなかったほか、父親の死をバーバラさんに知らせた際には、まるで感情がなかったそうで、シュワルツェネッガーさんがどれほど家族に苦しめられていたかが分かります。

(お母さんとの関係は良好だったそうです)

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少年時代は極貧生活から金持ちに憧れていた

そのうえ、シュワルツェネッガーさんの育った家庭は貧しく、食べ物がなかったため、お母さんが農場から農場へと食べ物がほしいと頼みに回り、そのおかげで、ようやく少しのバターと砂糖にありつけるという生活だったそうで、

シュワルツェネッガーさんは、お父さんからの虐待とそんな貧乏な暮らしから抜け出したいと、いつも思っていたことから、

数億稼ぎたい

と、言うことが口癖だったそうです。

ちなみに、シュワルツェネッガーさんは、そのことについて、

僕はそうなるのがどれだけ珍しいことか(子供だから)考えてなかったんだ

偶然なんてないよ。(夢に突き進むと)決心して、(自分を)信じることで、叶うことなんだ

これはスピリチュアルなことだよ。僕は金持ちになって、速い車がほしかったんだ。死んだら無意味なものだけど、若いころは何か頑張れるものがあったんだよ

と、語っておられます。

「シュワルツェネッガーは若い頃ボディビルで変人扱いされていた!」に続く

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