「チューリップ」を結成し、再び挑戦した、「ライト・ミュージック・コンテスト」では、見事2位(準グランプリ)に輝き、メジャーデビューを目指して上京した、財津和夫(ざいつ かずお)さんは、1971年には、ついに、ファーストシングル「私の小さな人生」でレコードデビューを果たすのですが・・・

「財津和夫は「チューリップ」の前に「フォーシンガーズ」で活動していた!」からの続き

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「私の小さな人生」でデビューするもメンバー2人が脱退し解散

1971年、メジャーデビューを目指して上京した財津さんたち「チューリップ」は、同年には、ファーストシングル「私の小さな人生」でデビューしたそうですが・・・

レコーディングをした翌日、宗田慎二さんと末広信幸さんが脱退して福岡に戻ったことから、やむなく、解散となってしまったのだそうです。

(「私の小さな人生」は発売されたものの、その曲を演奏するバンドがいなくなってしまったため、ファンの間では、「幻のデビュー曲」として語り継がれているそうです)


私の小さな人生(左から、末広信幸さん、宗田慎二さん、吉田彰さん、財津さん。)

「私の小さな人生」の歌詞

ちなみに、「私の小さな人生」の歌詞は、

私の小さな人生

私が今日まで生きてきて

何がこの手に残ったろう

生まれて死ぬまで 私は何をする

お金をもらって 何に使おう

歩いても歩いても いつも一人だった

人はおかしな男と言うけれど 私の小さな人生は

これからどんなに変わるのか 花の開く音も 人の歌う声も

私には淋しく 聞こえてくる

なにをしながら生きて行こう

できることなら 死んで行くその日まで

歌を歌って生きて行きたい

歌を歌って生きて行きたい

というものなのですが、

実は、この歌詞は、財津さんが、たまたま、乗り合わせたタクシーの車内での会話がきっかけで生まれたといいます。

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「私の小さな人生」は「小さな」という形容詞にこだわって作っていた

財津さんは、大学時代、(後に「チューリップ」のメンバーとなるギタリスト)安部俊幸さんの家に、しばしば泊まっていたそうですが、ある日のこと、いつものように安部さんの家に遊びに行こうと(安部さんを引き抜きに行ったとの説も)、ギターを抱えてタクシーに乗り込むと、

運転手さんが、

あんた、ギター弾くとね。私もやっていたんだけど、途中でやめてしまった。でも、音楽はいいよね。あんた、諦めずに音楽を続けなさいよ

と、話しかけてきたそうで、

車内では、適当に運転手さんの話を受け流していたそうですが、

タクシーを降りても、

諦めずに音楽を続けなさいよ

という言葉が忘れられなかったそうで、

財津さんは、NHK「ザ・ヒューマン」でのインタビューをまとめた書籍「人生はひとつ でも一度じゃない」で、

乗り合わせただけの客に、突然、こんなセリフを投げかけるなんて、よっぽど音楽を続けたかったんだろうなと思うと、運転手さんの言葉が夜半になっても頭の中をずっとリフレインしてしまって。

それで安部の部屋で夜中にギターを持ち出し、その言葉を手がかりにして曲を作ってみたんです。そうして生まれたのが『私の 小さな人生』という曲でした

と、語っています。

また、財津さんは、タイトルを決めるうえで、「小さな」という形容詞にこだわったそうで、

大勢の聴衆の前で歌うプロなら、その人生は大きなものと呼べるでしょう。でも、僕が出会った運転手さんは音楽を途中でやめてしまい、人前で歌うチャンスなんてない。

自分の部屋でひっそりとギターを弾くか、あったとしてもせいぜい 10~20ほどの見知った顔の前で歌うくらいのものでしょう。そう思うと、タイトルを『私の人生』とするよりも、『私の小さな人生』としたほうがしっくりくるなと考えたんです

とも、語っています。

「財津和夫のワンマンが宗田慎二と末広信幸のチューリップ脱退理由だった?」に続く


人生はひとつ でも一度じゃない

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