1955年、俳優として芽が出ないまま、ユニバーサルを解雇されると、その後は、映画監督アーサー・ルービンさんからのオファーを中心に、端役で食いつなぐ日々が続いた、クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)さんですが、ついに運が巡ってきます。

「クリント・イーストウッドは若い頃ユニバーサルを解雇されていた!」からの続き

Sponsored Link

西部劇ドラマ「ローハイド」で準主役に起用される

映画監督アーサー・ルービンさんからのオファーで、なんとか食いつなぐ、パッとしない日々を送っていた、イーストウッドさんですが、1958年、代理人のビル・シフリンさんから、アメリカのテレビ放送局「CBS」が1時間の西部劇ドラマを製作するから、スタジオに顔を出すようにと助言されたそうで、この助言に従い、スタジオを訪ねると、プロデューサーに事務所に呼び出されたそうです。

すると、プロデューサーから、映画監督のチャールズ・マーキス・ウォーレンさんを紹介され、映画「牛泥棒」で主演を務めたヘンリー・フォンダさんのセリフを暗唱させられると、その1週間後には、ウォーレンさんがプロデューサーを務める西部劇シリーズ「ローハイド」で、準主役ロディ・イエーツ役に起用されます。

西部劇ドラマ「ローハイド」でブレイク

すると、「ローハイド」は、1959年1月の放送開始から、3週間で番組ランキングのトップ20にランクインし、

1960年10月~1961年4月には、番組ランキング6位となるなど人気番組となり、イーストウッドさんもたちまち脚光を浴びたのでした。


「ローハイド」より。イーストウッドさん(左)とエリック・フレミングさん(右)。

歌手としても活動

また、イーストウッドさんは、多忙なスケジュールの合間を縫って、「ローハイド」の曲「A Drover’s Life」「Beyond the Sun」のレコーディングを行うと、撮影のオフシーズン中には、ブラインガーさん、シェブ・ウーリーさんとともに音楽フェスティバルに参加し、1万5000ドルを稼ぐなど、音楽にも熱意を見せているのですが、

イーストウッドさんは、その時のことを、

そして50年代の終わり・・・1959年だったかな、CBS(テレビ映画)の『ローハイド』(1959~1965年)のオーディションに受かったんだ。ようやく役者として生計を立てられた、夢のようだったよ。

それが6年ほど続いて、その時は私にもエージェントがついていた。その前はいなかったんだ、別にそれでよかったけどね。

と、語っています。

Sponsored Link

「ローハイド」の撮影は1日平均12時間と超ハードなうえ演技は酷評されていた

ただ、イーストウッドさんによると、この「ローハイド」、撮影はとてもハードだったうえ、1960年4月~7月は、週6日、1日平均12時間もの撮影に参加していたそうですが(毎朝遅刻していたそうです)、

一部のディレクターやジャーナリストからは、

外見頼りで十分な演技が出来ていない

演技が不自然

と、演技を酷評されるなど、散々だったそうです。

(ただ、イーストウッドさんはこの「ローハイド」の出演を通し、着実に俳優としての能力を開花させていったそうで、当時は、誰もその成長に気が付かなかったそうです)

「クリント・イーストウッドは当初「荒野の用心棒」出演を渋っていた!」に続く

Sponsored Link