1959年、テレビ西部劇シリーズ「ローハイド」の準主役に起用されると、ドラマのヒットとともに、たちまち脚光を浴びた、クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)さんですが、やがて、マンネリ化して飽き始めた頃、さらなる大きな運が巡ってきます。

「クリント・イーストウッドは昔「ローハイド」でブレイクしていた!」からの続き

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イタリアから西部劇「荒野の用心棒」のオファー

1959年、テレビ西部劇シリーズ「ローハイド」(1959~1965)に準主役でレギュラー出演し、お茶の間の人気者となったイーストウッドさんですが、

次第に脚本がマンネリ化し、飽き始めたそうで、そんな1963年の後半、思いがけず、イーストウッドさんのもとに、イタリアから西部劇「The Magnificent Stranger」(「荒野の用心棒」の前段階の題名)の出演依頼が舞い込んだそうです。

「荒野の用心棒」が黒澤明監督映画「用心棒」をモデルにしていると気付き出演

ただ、この頃、イーストウッドさんは、「ローハイド」の出演に疲れ果てていたことから、数ヶ月間休暇を取ってゴルフでもして気分転換したいと考えていて、気は進まなかったそうですが、

とりあえずと、「The Magnificent Stranger」の脚本を10ページほど読まされたところ、物語が黒澤明監督の映画「用心棒」をモデルにしていることに気づいたそうで、

残酷ではあるものの、非常に知的だと思い、出演を決意したのだそうです。(そのため、「ローハイド」は1963年に降板されています)

それでも、イーストウッドさんは、翌年の1964年5月、休暇のような感覚で、ヨーロッパに向けて旅立ったそうで、アメリカを出国する前には、出演料を当て込んで、メルセデス・ベンツの購入契約を結んだそうです(笑)

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数多くの俳優が「荒野の用心棒」のオファーを断っていた

ところで、この「The Magnificent Stranger」、当時はまだ無名に近かったイタリアの映画監督セルジオ・レオーネさんがイーストウッドさんにオファーされたのですが、

実は、イーストウッドさんの前に、「ローハイド」の主演俳優である、エリック・フレミングさんにオファーをしていたのだそうです。

ただ、出演料が安かったことや、ハリウッドの大作映画に出演を望んでいたフレミングさんは、このオファーを断ったそうで、

その後、レオーネ監督は、チャールズ・ブロンソンさん、スティーヴ・リーヴスさん、リチャード・ハリソンさん、フランク・ウォルフさん、ヘンリー・フォンダさん、ジェームズ・コバーンさん、タイ・ハーディンさんなど、名だたる俳優たちに主演のオファーをされたそうですが、誰もオファーを受ける人はいなかったのだそうです。

そこで、プロデューサーが、より出演料の安い俳優のリストを作成し、リチャード・ハリソンさんにアドバイスを求めたところ、ハリソンさんは、カウボーイを演じきれる役者として、イーストウッドさんを推薦したそうで、これがきっかけで、イーストウッドさんにオファーが出されたのでした。

(ちなみに、ハリソンさんは、後に、「私の映画界への最大の貢献は、『荒野の用心棒』に出演しなかったことと、イーストウッドを推薦したことです」と語っています)

「クリント・イーストウッドが若い頃は「荒野の用心棒」が大ヒット!」に続く

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