関西で超売れっ子タレントとして活躍するようになった、笑福亭鶴瓶(しょうふくてい つるべ)さんは、1986年、35歳の時には、満を持して、ゴールデンタイムの司会で3度目の東京進出を飾るのですが、この番組自体は、裏番組がビートたけしさんの大人気番組で、早々に打ち切りに・・・ただ、意外にも、そのたけしさんに助けられる形となります。
「笑福亭鶴瓶は昔数百万円の錦鯉を踏み殺しテレビ東京を出禁になっていた!」からの続き
ゴールデンタイムで3度目の東京進出も・・・
初めての東京進出では、生放送中に股間を丸出しにしてつまみ出され、2回目の東京進出では、生放送中に肛門の穴をどアップで撮らせたうえ、テレビ東京の社長が大事にしていた数百万円の鯉を踏み殺して、出禁となった鶴瓶さんですが、
これらの失敗からヒントを掴み、大阪で数々の番組をヒットさせ、レギュラー10数本を持つ売れっ子となると、1986年、35歳の時には、満を持して、夜8時のゴールデンタイム放送の「世界NO.1クイズ」と「鶴瓶のテレビ大図鑑」のMCで、再び東京に進出します。
実は、それまでにも、何度か東京からオファーがあったそうですが、大阪での人気が根強く、大阪の番組が全然終わらなかったために断っていたそうで、ある時、思い切って全部整理し、東京に出ることを決意したのでした。
「鶴瓶のテレビ大図鑑」より。
「ビートたけしをつぶす男」という触れ込みでの東京進出だった
ただ、この2つの番組、いずれも、ビートたけしさんの番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」「オレたちひょうきん族」の裏番組だったことから、鶴瓶さんは、「たけしをつぶす男」という触れ込みで東京に進出した形になり、
(鶴瓶さんは、当初、裏番組のことは全く知らなかったそうです)
しかも、いずれも、視聴率で苦戦し、僅か8ヶ月で打ち切りとなったことから、鶴瓶さんは、週刊誌などでに「鶴瓶、東京進出失敗」と書きたてられてしまったそうで、
鶴瓶さんは、この時のことを、
正月に地下鉄乗って、前の席の人に「おめでとうございます」と言ったら、「あんた、おめでとう言ってる場合ちゃうで」。上(中吊り広告)を見たら、週刊宝石に『東京進出失敗鶴瓶』と書いてた
と、語っています。
ビートたけしのお陰で東京進出が成功していた?
しかし、そんな鶴瓶さんに手を差し伸べてくれたのは、その、たけしさんだったそうで、
たけしさんは、
お前これで鶴瓶を帰したら笑われるよ
と、番組制作会社の社長に忠告してくれていたそうで、
この、たけしさんの一言が、結果的に、東京進出成功につながったのだそうです。
(鶴瓶さんは、後に、そのまんま東(東国原英夫)さんから、この話を聞いたそうですが、ほかにも、たけしさんは、「あいつは持っているものがすごい。お笑いとしてのライバルはあいつや」とも、言っていたと聞いたそうで、世間では、東京進出失敗と思われていただけに、たけしさんが認めてくれたのを知り、とても嬉しかったそうです)
「世界まるごとHOWマッチ」をきっかけに大橋巨泉に可愛がられていた
また、いつ頃かは不明ですが、タレントで元参院議員の大橋巨泉さんも、鶴瓶さんの東京進出に一役買ってくれたといいます。
というのも、鶴瓶さんが、巨泉さんの番組「世界まるごとHOWマッチ」の解答者として出演した時のこと、
(「世界まるごとHOWマッチ」は、1983~1990年に放送された、世界中のあらゆるものに関する値段を当てるクイズ番組で、毎回視聴率が20%台後半を記録する超人気番組)
関西では売れていても、インターネットのなかった当時、東京では無名の芸人だった鶴瓶さんは、人気番組に出演するにあたり、なんとか爪痕を残そうと必死だったそうで、
考え抜いた挙げ句、圧倒的存在感を放つ巨泉さんに噛み付くことを思いつき、番組の途中、巨泉さんに対し、
嫌われそうな性格してるわ。アンタ、敵多いやろ?
と、言うと、
(無名の芸人が、テレビ界でトップクラスの名司会者である巨泉さんに発したこの言葉に、スタッフたちは、「巨泉さん、キレるんじゃないか?」とヒヤヒヤしたといいます)
巨泉さんは、キレるどころか、大爆笑し、その後、番組内で何回も、
「敵多いやろ」って何だよ!
と、鶴瓶さんを(大変気に入って)イジり倒してくれ、
このことをきっかけに、別の番組にも呼んでくれるようになり、鶴瓶さんが東京進出を成功する足がかりを作ってくれたのだそうです。
「笑福亭鶴瓶は若い頃「笑っていいとも!」で東京進出に成功していた!」に続く