満を持しての、ゴールデンタイムの司会での3度目の東京進出も、人気絶大だった裏番組の影響もあり、僅か8ヶ月で打ち切りとなった、笑福亭鶴瓶(しょうふくてい つるべ)さんですが、ビートたけしさんや大橋巨泉さんなどの大物タレントに気に入られ、踏みとどまると、ついに、大きな運が巡ってきます。

「笑福亭鶴瓶の東京進出成功はビートたけしのお陰だった?」からの続き

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「笑っていいとも!」「上岡・鶴瓶のパペポTV」で全国的な人気者に

満を持して、夜8時のゴールデンタイム放送の「世界NO.1クイズ」「鶴瓶のテレビ大図鑑」のMCで、再び東京に進出するも、いずれも視聴率が振るわず、僅か8ヶ月で打ち切りとなった鶴瓶さんですが、

ビートたけしさんや大橋巨泉さんに気に入られ、なんとか踏みとどまると、1987年には、お昼の番組「森田一義アワー 笑っていいとも!」の木曜日のレギュラーに抜擢。

明石家さんまさんが金曜日、所ジョージさんが水曜日、片岡鶴太郎さんが火曜日、関根勤さんが月曜日を担当していました)


「笑っていいとも!」より。

すると、持ち前のトークの才能を発揮して、木曜日のリーダー的存在となり、翌年の1988年には、それまで関西ローカルだった上岡・鶴瓶のパペポTV」が全国ネットとなったことも相まり、ついに、全国的なお茶の間の人気者となります。


「上岡・鶴瓶のパペポTV」より。鶴瓶さん(左)と上岡龍太郎さん(右)。

プロデューサーの横澤彪に見初められて「笑っていいとも!」のレギュラーに抜擢

実は、鶴瓶さんの「笑っていいとも!」の出演は、プロデューサーの横澤彪さんのお陰だったといいます。

というのも、横澤さんは、鶴瓶さんの東京進出後をいち早く予測し、

司会のタモリさんに、

笑福亭鶴瓶という、関西では圧倒的な人気を持つ男が東京に進出してきます。で、これが多分失敗します。そこで「いいとも!」に入れたいと思っています

と、持ちかけていたそうで、

実際、その予測通り、鶴瓶さんの東京での番組が次々と打ち切りとなり、「笑っていいとも!」のレギュラーに抜擢したのだそうです。

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昔キワモノ芸人時代のタモリをラジオ番組のゲストに呼んでいた

ところで、鶴瓶さんは、その昔、まだ、キワモノ芸人として活動し、一般的には無名だったタモリさんを、ラジオ番組のゲストに呼んでいたことがあったそうです。

しかも、鶴瓶さんにタモリさんを引き合わせたのは、ミュージシャンの井上陽水さんだったそうで、

井上さんが、

ものすごくおもしろい人がいる

という一言を添えて、鶴瓶さんに一本のカセットテープを送ってきたことから、鶴瓶さんがそのカセットテープを再生すると、そのおもしろさに驚いたそうで、すぐにタモリさんをラジオ番組のゲストに呼んだのだそうです。

その後、タモリさんは、キワモノ芸人から一転、「笑っていいとも!」のMCに抜擢され、日本のお昼の顔として人気を博すのですが、

鶴瓶さんも、一旦は「局部露出事件」などの騒動で東京進出に失敗するも、関西で圧倒的な人気を得て、再び東京進出。1987年、再び、二人は「笑っていいとも!」で共演することとなったのでした。

「笑福亭鶴瓶はタモリに「笑っていいとも!」降板を強く引き留められていた!」に続く

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