お母さんが元内閣総理大臣・犬養毅氏の三男の犬養健氏の妾(未婚の母親)ということで、幼い頃から出生や家庭環境のことでイジメられていたという、安藤和津(あんどう かず)さんですが、お母さんにはそれ以上に大事にされたといいます。
「安藤和津の生い立ちは?幼少期はお姫様の様に育てられていた!」からの続き
幼い頃から境遇を理由にイジメに遭っていた
料亭を営むお母さんのもと、まるでお姫様のように何不自由なく育ったという安藤さんですが、お母さんが元内閣総理大臣・犬養毅氏の三男の犬養健氏の妾(未婚の母親)だったことや、一緒に住んでいた叔母さんは身体障害者、おばあちゃんは寝たきりだったため、大人達に噂話され、仲間はずれにされたそうで、
中学生になると、そのイジメはだんだんエスカレートし、人前で恥をかかされることもあったそうです。
(お母さんは、弟たち(安藤さんの叔父さん)まで引き取って大学まで行かすなど、全員引き取って養っていたそうです)
中学で不登校になるも母親の言葉で立ち直る
ただ、安藤さんは、イジメられているということをお母さんには言えず、我慢していたそうですが、
(言ってしまうと、自分のプライドが傷つき、また、お母さんも傷つけるのではないかと恐れたため)
中学生の時、不登校となり、お母さんにいろいろと問い詰められ、
思わず、
何で私をこんな環境の中で生んだの?私はこの家を望んで生まれてきた訳じゃない
と、言ってしまったのだそうです。
すると、それまで、一度も褒めてくれたことがなく、いつも厳しく気が強いお母さんが、一瞬、とても悲しそうな顔をして黙ってしまったそうですが、
すぐに、
あんたの事は私が命を懸けても守ってあげる
と、言って抱きしめてくれたそうで、
安藤さんは、お母さんのその一言で、もう一度学校に行こうと思えるようになったのだそうです。
少女時代の安藤さんと母・昌子さん。
父親が他界後は母親から「宝物」と呼ばれた
また、安藤さんのお父さんの犬養健氏は、安藤さんが中学1年生の時に、心臓病で他界しているのですが、
(お父さんの葬儀では、安藤さんとお母さんは、親族の席に座ることを許されなかったそうです)
お母さんは、お父さんが亡くなった後は、
パパからもらった宝物
と、言って、以前にも増して安藤さんのことを大事にしてくれたそうです。
20歳になると母親つきっきりで花嫁修業
そして、安藤さんが20歳を迎える頃には、突然、お母さんが、
これからは、あなたの花嫁修行に付き合うわ
と、言って、料亭を畳んでしまい、同時に港区にマンションを購入して麹町から引っ越しすると、
(まだマンションが珍しい時代だったそうですが、そのマンションはバスルームが2つもあったほか、周りには高いビルがなかったことから、富士山も東京タワーもよく見える、最高の立地だったそうです)
お母さんは、安藤さんの花嫁修業のため、これまでできなかった母親業に力を入れるようになり、それまで、放任主義だったのが、突然、門限が厳しくなるほか、外出する時には、誰とどこに行くかすべてチェックされ、ほぼいつも一緒に行動するなど、安藤さんにベッタリとなったそうで、縁談話を持ってこられたこともあったのだそうです。
「安藤和津が若い頃は母親からイギリス留学を命じられていた!」に続く
安藤さん(左)と母・昌子さん(右)。