元内閣総理大臣の犬養毅氏を祖父に持つという、安藤和津(あんどう かず)さんですが、実は、犬養氏の三男の犬養健氏とその妾の間に生まれており、現在では考えられない境遇で生まれ育ったといいます。

「安藤和津の家系図は?祖父は元内閣総理大臣・犬養毅!」からの続き

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父親は元法務大臣の犬養健氏、母親(妾)は芸者

安藤さんは、元内閣総理大臣の犬養毅氏の三男で後に法務大臣を務めることになる犬養健氏と、犬養健氏の妾で柳橋の芸者だった荻野昌子さんの間に誕生すると、柳橋の一等地だった隅田川沿いにある、お母さんの営む日本料理亭「をぎ乃」の2階の一角で幼少期を過ごしたそうです。


(左から)母・昌子さん、安藤さん、父・犬養健氏。

そして、安藤さんが小学校に上がる少し前には、お母さんが料亭の真向かいに土地を買って家を建てたそうで、

(建物はとても立派な造りで、当時としては珍しい様式のトイレがあったそうです)

母方の祖母、3人の叔父、叔母、さらには、向かいの料亭に20人ほどが住み込みで暮らす大所帯で、何不自由なく育ったのだそうです。

(両親は未入籍だったのですが、後にお父さんが安藤さんを認知したそうです)

少女時代はお姫様のように育てられていた

そんな安藤さんは、仕事で忙しいお母さんに代わって、乳母に育てられたそうですが、どこに行くにも、乳母がつきっきりで、あれはダメ、これもダメと、あらゆる危険なものから遠ざけられ、

必要なものがすべて用意されていた環境で、お姫様のように育てられたそうで、中学3年生になるまで自分でお金を支払ってお買い物をしたことがなかったそうです。

ただ、それが愛情であることは分かっていても、まるで、お母さんの所有物かのように感じて窮屈だったうえ、そのせいで、小学校の頃は虚弱体質だったそうです。

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中学の時には東京・千代田区の麹町に引っ越し

その後、中学生になると、お母さんが、「娘の育つ環境として、料亭街は好ましくない」と、今度は千代田区の麹町に一軒家を購入し、安藤さんとお母さん、そして、寝たきりだった祖母と祖母の面倒を見てくれていたお手伝いさんの4人で新しい家へ引っ越したそうで、

安藤さんは、その頃のことを、

麹町の家は椿の花が咲き誇る素敵な庭がありました。私はそれを見るのが本当に楽しみだったんです。都心だったこともあって、学生時代は私の友達がいつも遊びに来ていました。

母も賑やかなのが大好きだったので、一緒に混じっておしゃべりをしていたのを思い出します。

と、語っています。

(安藤さんの母親・荻野昌子さんは、石材店を営む裕福な家庭に生まれたそうですが、昌子さんが14歳の時、お父さんが知人の借金の肩代わりをしたことで倒産したことから、通っていた女学校を中退して花柳界へ入ったそうで、そこで、27歳も年上の犬養健氏と知り合い、妾になったそうですが、安藤さんを出産後は、26歳で独立し、日本料理亭「をぎ乃」を営み、女手一つで家族全員を養ったのだそうです)

「安藤和津は少女時代イジメられるも母親の言葉で立ち直っていた!」に続く


赤ちゃんの頃の安藤さんと母・昌子さん。

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