「俳優養成所」を受験するも、不合格だと思い込み、「俳優養成所」を受験したことを後悔するほど落ち込んだという、愛川欽也(あいかわ きんや)さんですが、試験の10日後には、「俳優養成所」から合格通知を受け取り、晴れて入所すると、「俳優座」の設立者である千田是也さんに大変かわいがってもらうなど、幸先の良いスタートを切ります。

「愛川欽也は「俳優養成所」の試験後は絶望感に襲われていた!」からの続き

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「俳優養成所」の合格通知を受け取る


「俳優養成所」
の試験が終わると、すっかり不合格だと思い込み、絶望感や虚無感に襲われ、勝手に落ち込んでいたという愛川さんですが、試験から10日後、学校から帰宅すると、

お母さんから、

お前にこんな葉書が来てたよ

と、一枚の葉書を渡されたそうで、

愛川さんは、ひったくるように葉書をお母さんの手から取ったそうですが、そこには、まさかの「合格」という文字が。

(愛川さんは、間違いじゃないかと、改めて葉書をじっと見たそうです)

そこで、愛川さんは、呼吸を整え、

母さん、ぼくは俳優の学校に行くよ

と、言ったそうですが、

おかあさんは、愛川さんの顔をじっと見てから、

自分で決めたんだね。それならそうしなさい

と、言ってくれたそうです。

母親の夢があっけなく崩れ去っていくのを感じていた

ただ、この瞬間、お母さんの夢があっけなく崩れ去ったことが、愛川さんには分かっていたそうです。

というのも、お母さんは、愛川さんが生まれた時から、自分の一生を愛川さんに賭け、愛川さんの学校の成績が良いことを心の拠り所に、戦争という辛い試練に耐えながら、とにかく愛川さんを無事、立派に育てることに、自分のすべてを注いでおり、これまで、母一人子一人、寄り添うように生きてきたからです。

それでも、愛川さんは、お母さんと一緒に乗って走っていたレールを、一人降り、別の世界へと向かったのでした。

「俳優養成所」の設立者・千田是也に可愛がられていた

さておき、「俳優養成所」の試験に合格した愛川さんは、お母さんからもらった入学金と筆記用具と運動靴をかばんに入れて「俳優養成所」の門をくぐると、「俳優座」の設立者・千田是也(せんだ これや)さんと出会ったそうです。


「俳優座」の設立者・千田是也さん。

愛川さんからすると、千田さんは、雲の上の人という存在で、気軽に声をかけられなかったそうですが、千田さんには、何かとかわいがってもらったそうで、

俳優座が「オセロ」の公演をやることになった際には、まだ養成所の研究生だった愛川さんを、オセロの凱旋行進の最前列で小太鼓を叩く少年の役で起用してくれたこともあったそうです。

(愛川さんによると、「俳優養成所」の同期はみな、高校卒業後に入った18歳以上の人たちばかりで、愛川さんだけが17歳と年下だったため、千田さんからかわいがられたのはとのこと)

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千田是也の思想に大きな影響を受ける

そして、やがては、千田さんの自宅に遊びに行くほどになったそうですが、

ある時、千田さんが、

昔は警察にとっ捕まったりしてなぁ、演技どころじゃなかったよ・・・

と、ポツリとつぶやいたことがあったそうで、

千田さんは、ペラペラしゃべる人ではなく、多くを語ることはなかったため、何があったのか愛川さんにはよく分からなかったそうですが、

愛川さんは、後に、

もちろん、それまでも先生がナチスが台頭するドイツで『ベルリン反帝グループ』をつくったり、治安維持法下の日本で検挙されたということは知ってました。

でも、当時のことを自慢げにペラペラしゃべる人ではなかったから、自分なりに猛勉強しました。そこで戦争の悲惨さ、平和の大切さ、民主主義の尊さを思い知ったのです

(千田さんは)多くを語ることはなかったけれど、それはもう大変なことだったと思う

と、語っており、千田さんに大きな影響を受けたのだそうです。

(千田さんは、自身が書いた「近代俳優術」という教科書を使って授業をしていたそうですが、当時、毎年何本もの映画に出演して超多忙だったにもかかわらず、休講したことは一度もなかったそうで、こうした千田さんの芝居に対する情熱が「俳優座」を支えていたのだそうです)

「愛川欽也は「俳優養成所」時代ドラムに目覚めていた!」に続く

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