1975年には、俳優としても、映画「トラック野郎」で”やもめのジョナサン”こと松下金造役を演じ、たちまち爆発的な人気を博した、愛川欽也(あいかわ きんや)さんですが、実は、この「トラック野郎」を企画したのは、愛川さん本人だったといいます。

「愛川欽也は昔「トラック野郎」のやもめのジョナサン役で大ブレイク!」からの続き

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「東映」は「仁義なき戦い」シリーズ後のヒット作を模索中だった

愛川さんが、「トラック野郎」シリーズでの相棒である菅原文太さんと知り合ったのは、愛川さんが、当時、司会をしていた、情報番組「リブ・ヤング!」に、菅原さんが、映画の宣伝のためゲスト出演した時だったそうですが、

その際には、菅原さんと共に「東映」の人たちも来ており、東映のプロデューサー(愛川さんの友達だったそうです)が菅原さんに、「なんか新しい番組(映画)、やる気ないかね?」などと言っているのが聞こえたそうで、

愛川さんにも、そのプロデューサーから、

おう、キンキン。なんか面白いものあるんだったら、言ってよ。

と、水を向けられたそうです。

(「東映」は、かつては、戦後の広島のやくざ抗争を描いた「仁義なき戦い」シリーズ(菅原さん主演)を大ヒットさせているのですが、やがてヤクザ映画のブームが去り、新しい企画を模索中だったそうです)

「トラック野郎」は愛川欽也が企画したものだった

実は、愛川さんには、かつて吹き替えを担当したアメリカのテレビドラマ「ルート66」から着想を得た企画があったそうで、

「ルート66」では、大学を卒業した2人の若者が、社会に出る前に、スポーツカー「シボレーコルベット」でアメリカ大陸を旅するというストーリーだったそうですが、なんとか、当時40歳の愛川さんができる大人モノはないかと考えていたところ、

当時、まだできたばかりだった東名高速道路を、夜、自分の車で走っていた時、対向車線から、ギンギラギンのトラック(デコトラ)が走って来たのを見て、

これだ!

と、ひらめいていたのだそうです。

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星桃次郎と松下金造(やもめのジョナサン)の中年コンビが誕生

そこで、後日、愛川さんが、企画書を書いて、「東映」に原案を持ち込むと、友達のプロデューサーがやりたいと言ったことから、すぐに菅原文太さんにオファー。

(菅原さんは当時入院中だったため、病室まで訪ねて行ったそうです)

すると、最初、菅原さんは、乗り気ではなかったそうですが、

愛川さんが、

2人で喜劇テイストでやろうよ

と、提案すると、

菅原さんは、既にコメディタッチのやくざ映画「まむしの兄弟」シリーズでの喜劇的演技が好評を博していたこともあり、承諾したそうで、

ここで、貧乏育ちの星桃次郎と、警察官を懲戒免職になった松下金造(やもめのジョナサン)の中年コンビによる、派手にデコレーションされた長距離トラックの運搬業という設定が誕生したのだそうです。

(当時は、「デコトラ」という言葉はなかったそうです)

「愛川欽也の「死ね死ねブルース」は隠れた名曲だった!」に続く


「トラック野郎」シリーズでの菅原文太さん(左)と愛川さん(右)。

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