1980年、ニューヨークの自宅である高級集合住宅「ダコタ・ハウス」前で銃弾に倒れた夫・ジョン・レノンさんの意思を引き継ぎ、その後も、平和活動を続けている、オノ・ヨーコさんですが、実は、ジョンさんの名曲「imagine(イマジン)」は、オノさんとの共作だったといいます。
「オノ・ヨーコとジョン・レノンはFBI(連邦捜査局)の監視下に置かれていた!」からの続き
名曲「imagine(イマジン)」はジョン・レノンとオノ・ヨーコの共作だった
誰でも一度は聴いたことがあるであろう名曲「imagine(イマジン)」は、ジョン・レノンさんが1971年にソロでリリースしたシングルなのですが、
発売から46年後の2017年には、オノさんの名前がクレジットに追加されることが、アメリカ音楽出版社協会により正式に認められたそうです。
というのも、ジョンさんは、生前、イギリスBBCのインタビューで、
(イマジンの)歌詞もコンセプトも多くがヨーコからのもの
と、明かしているほか、
(当時、作詞者にオノさんの名前が加えられていなかったことについて)あの当時は自分勝手で男性的だった
「レノン/オノ作」のクレジットを付けるべきだった
などと語り、オノさんの名前を加えなかったことを恥じていたというのです。
「imagine(イマジン)」の歌詞はオノヨーコの作品集「グレープフルーツ」から取られていた
実際、この「imagine(イマジン)」は、
Imagine (想像しなさい)
と、呼びかける形で始まるのですが、
ジョンさんは、オノさんが1964年に発表した作品集「グレープフルーツ」の中にある詩「ツナフィッシュ・ピース・サンドウィッチ」の、
想像して、千の太陽が一度にのぼるところを・・・
のフレーズがとても気に入り、曲のタイトルにも使用したといいます。
オノヨーコが「imagine(イマジン)」の共作者ということを隠していた理由とは
ちなみに、オノさんはというと、
実はあの曲はジョンと私が一緒に作ったのよ。でも、私はそうだとはずっと言わないようにしてきたの。もし私との共作として発表していたら、世界の皆が曲をちゃんと聴いてくれなかったと思うから
と、自ら身を引いたことを明かしつつ、
まあ、色々なことがあったけど、結局、私は『イマジン』を作るために生まれてきたような気がするのよ・・・
と、語っており、
オノさんにとって、「imagine(イマジン)」は、特別な作品であることが伺えます。
共に「イマジン」を制作するオノさんとジョン・レノンさん。
「imagine(イマジン)」が東京オリンピック(五輪)開会式で披露されたことを受けコメント
また、2021年7月23日の東京オリンピック(五輪)開会式では、5大陸を代表する歌手らのパフォーマンスによって、この「imagine(イマジン)」が披露されているのですが、
オノさんは、このパフォーマンスを受け、
ジョンと私は共にアーティストで、一緒に暮らしていたので、お互いに刺激を与えあっていました。“イマジン”という曲は、私たちが当時一緒に信じていたものを具現化したものです。彼は西洋で、私は東洋出身ですが、私たちは今も一緒にいます
と、ツイートしています。
黒い大きなサングラスはジョンレノンの勧めだった
ところで、オノさんといえば、黒い大きなサングラスがトレードマークとなっていますが、これは、ジョン・レノンさんのアイディアだったそうです。
というのも、1980年のある日のこと、二人はニューヨークの百貨店「サックス・フィフス・アベニュー」まで散歩に出かけたそうですが、その際、メガネ売り場で、ジョンさんが黒い大きなレンズのサングラスを取り、オノさんにかけさせ、オノさんの顔を見ながら、
君はいつもこれをかけているといいよ
と、言ったのだそうです。
オノさんは、最初はその意味が分からなかったそうですが、やがて、いつもカメラに追いかけられ、写真をたくさん撮られていたことから、ジョンさんが、サングラスをかけさせることで、パパラッチから守ってくれようとしていたのだと、気がついたそうで、
(アルバム「ダブル・ファンタジー」を制作中で、ジョンさんの銃撃事件が起きる少し前のことだったそうです)
それ以来、オノさんは、メディアに登場する時は、大きなサングラスをかけることが多くなったのだそうです。
「オノ・ヨーコは昔5歳の娘(長女)に絶縁されていた!」に続く