社会派の映画を次々と発表すると、類まれなる才能で世界中の人々を魅了した、大島渚(おおしま なぎさ)さんですが、63歳の時には「脳出血」で倒れ、3年に及ぶ懸命なリハビリの末、回復するも、69歳の時には「十二指腸潰瘍せん孔」で再び倒れ、「要介護5」の認定を受けていたといいます。

「大島渚の息子(次男)はドキュメンタリー監督の大島新!」からの続き

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脳出血で倒れるも懸命なリハビリの末に回復

大島さんは、1996年1月、映画「マックス、モン・アムール」(1986年フランスで公開)以来、10年ぶりとなる作品「御法度」の製作を発表するのですが、同年2月下旬、渡航先のイギリス・ロンドンのヒースロー空港で「脳出血」で倒れると、右半身がまひし、言語障害が残るなど、車椅子生活を余儀なくされます。

それでも、その後、3年に及ぶ懸命なリハビリの末、映画「御法度」(1999年)を撮るまでに回復したそうで、

妻・小山明子さんは、リハビリ中の大島さんについて、

幸い重い後遺症は残らなかったのですが、驚いたのはそのときの大島の態度。リハビリを懸命に行う中で、たくさんの人の小さな手助けにも必ず『ありがとう』と。私にまで感謝するので、『家族なんだからありがとうはいらないのよ』と言ってもやめません。

すると周囲が『大島さんを何とかしてあげよう』という空気になるのです。3年後には映画『御法度』を撮るまでに回復しました。大島の人間力を感じましたね

と、語っています。

再び倒れ「要介護5」の認定を受けると別人格になってしまっていた

ただ、ホッとしたのもつかの間、2001年11月には、「十二指腸潰瘍せん孔」で再び倒れ、生死の境をさまようと、奇跡的に一命は取り留めたものの、「要介護5」の認定を受け、生活のすべてに介護が必要になってしまったそうで、

(筋力が落ち、失語症になるほか、認知機能が落ちたため、様相がすっかり変わってしまったそうです)

それまでは、穏やかで、誰にでも「ありがとう」と言っていた大島さんが、車椅子の押し方が悪いと言っては、妻の小山さんに、「このバカ女!」等の罵声を浴びせるようになったほか、

おむつをつけなければならなくなった時には、

バカにしやがって!

死んだ方がましだ!

と、叫ぶなど、本当に別人格になってしまったそうです。

(小山さんは、この時のことが一番つらく、今でも忘れられないそうで、大島さんのプライドを守るためにはどうしたらいいのか、そればかりを考えていたそうです)

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妻・小山明子は大島渚の介護で重度のウツ病を発症していた

実は、小山さんは、大島さんが初めて倒れた時には、突然、介護の重圧がのしかかる中、女優としての自分が捨てられず、「なぜ私がこんな不幸に?」「こんなはずじゃない」と悲嘆にくれるほか、

(これまで家事の一切をお手伝いさんに任せていたため)大島さんを介護するといっても、何もすることができず、周囲の励ましの声が、逆に「お前は妻失格だ」と聞こえ、「私は最低な女だ」と自分自身を追い込んでいったそうで、

その結果、自殺願望まで現れる重度のうつ病を発症し、閉鎖病棟に入院していたこともあったのだそうです。

「大島渚は妻・小山明子に献身的に看病されていた!」に続く

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