(旧制)早稲田中学校在学中、ファンだった三木鶏郎さんのNHKラジオ番組「日曜娯楽版」にコントを投稿して稼いでいたという、永六輔(えい ろくすけ)さんですが、その一方で、映画にも夢中になっていたそうです。

「永六輔は少年時代ラジオ番組のコントの賞金で稼いでいた!」からの続き

Sponsored Link

淀川長治との出会い

中学2年生の途中で、東京に戻り、(旧制)早稲田中学校に編入した永さんは、疎開していた間に落ちた学力を取り戻すことができなかったそうで、神田や新宿で映画を観て過ごすようになったほか、映画雑誌を丁寧に読み込むなど、すっかり、映画に夢中になったそうです。

そんな中、愛読していた「映画之友」(後の「映画の友」)という雑誌が若い読者を対象に、「友の会」を募集していることを知ると、すぐにその会に参加し、そこで、編集長だった淀川長治さんと知り合ったそうです。

淀川長治からは一流のものを理解する教育を受けていた

ちなみに、淀川さんは、様々なやり方で一流を知る方法を教えてくれたそうで、初めて食事をご馳走になった時には、NHKの食堂でステーキを注文してくれたそうですが、これが、固くてボソボソしていて美味しくなかったそうです。

すると、淀川さんは、なかなか切れないステーキと格闘している永さんに、

永君、自分でお金を稼ぐようになったら、横浜のホテルニューグランドに行ってステーキを注文しなさい。どんなに味が違うか分かるから・・・

と、目を細めて、笑いながら言ったそうです。

淀川長治の教えを守り事務所に前借りしてでも本物に触れていた

また、淀川さんには、

映画を観る前に、歌舞伎を観なさい。寄席に行きなさい。一流のものなら、なんでも興味を持ちなさい

と、よく言われたそうで、

一流のものを理解するためには、それと同時に、最低のものも見たり、食べたりして、分からなければならない、と教えてくれたそうで、これこそが淀川さん流の教育だったそうですが、

(淀川さんは、クラシックからボクシングまで、ジャンルは問わず、何でも一流のものが好きで、さらに、世界一ならなおさら良く、世界一強い人、世界一美味しいものなどに目がなかったそうです)

永さんは、淀川さんのこの教えを守り、実践していたそうで、後に仕事を始めてからも、できるだけ生で本物に触れ、事務所から前借りしてでも、映画、寄席、コンサート、歌舞伎、ボクシングなど、何でも観に出かけるようにしていたそうです。

Sponsored Link

淀川長治と和田誠と共に「四月一〇日の会」を結成

ちなみに、永さんは、この「友の会」で、イラストレーターの和田誠さんとも出会っているのですが、たまたま、淀川さんと和田さんの3人で会った時、全員、誕生日が同じ4月10日だと分かったそうで、さっそく「四月一〇日の会」というのを結成し、映画の話をよくしたそうです。

そして、後には、シンガーソングライターのさだまさしさんも同じ誕生日だということが分かると、この「四月一〇日の会」は、4人になったのだそうです。

「永六輔が淀川長治から言われた忘れられない言葉とは?」に続く

Sponsored Link