3~4歳の頃、医師であるお父さんの赴任先の満洲に移住し、開拓団の村で育ったという、ムツゴロウこと畑正憲(はた まさのり)さんですが、小学2年生の時、幼年学校に通うために帰国することになったお兄さんに同行して日本に帰国し、親戚の家に居候するようになると、実の子と明確に差をつけられて、人間不信になってしまったといいます。
「ムツゴロウ(畑正憲)の生い立ちは?幼少期は満洲で育っていた!」からの続き
幼年学校に通う兄に同行し日本へ帰国
3~4歳の頃には、医師であるお父さんの赴任先の満洲に移住し、開拓団の村で育ったというムツゴロウさんですが、終戦の直前の小学2年生の終わり頃には、お母さんとお兄さんと共に日本に帰国したそうです。
(お父さんだけ満洲に残ったそうです)
というのも、当時は、日本の幼年学校に入らなければ日本軍の大将になれなかったことから、お父さんが、お兄さんを幼年学校に通わせるために日本に帰国させたそうで、ムツゴロウさんも、そのついでに同行したのだそうです。
命からがら帰国
そんなムツゴロウさんは、満鉄(南満洲鉄道)に乗りながら満洲を移動し、最後は釜山から船に乗ると、船では「敵の潜水艦が接近した」と言われ、客室ではなく甲板に座らせられ、寒く荒れ狂う朝鮮海峡をガタガタ震えながら一昼夜を過ごすなど、過酷な旅だったそうで、
ムツゴロウさんは、
そういえば最近、机の引き出しを整理していたら、僕が満洲にいたときに小学校でもらった賞状とか通知表が出てきたんですよ。あれはビックリしましたね。
満洲から引き揚げたとき、荷物なんてほとんど何も持てなかったんです。だから、おそらくお袋は服の胸元とかにしまって大事に運んだんでしょう。親心というのはすごいものだなって改めて思いましたね。あの極限状態で、なぜそんなことができるのか・・・
と、語っています。
帰国後は親戚宅に身を寄せるも実の子と差をつけられいつも空腹状態で人間不信に陥っていた
そして、どうにか、無事に日本に帰国したムツゴロウさんは、その後、大きな農家の親族を頼って大分県日田市に移り住んだそうですが・・・
(お父さんは農家の長男だったそうです)
そこでは、自分の子供でないことから、差をつけられたそうで、美味しい食べ物が食卓に置かれた際、ムツゴロウさんが喜んですぐに手を伸ばすと、ペシッと手を弾かれて、「この子は、すじい(ずるい)」と言われ、
(礼儀上、最初に取ってはいけないという意味)
最後に残ったものを取ろうとすると、これまた、ペシッと手を弾かれ、「ほかにも欲しい人はたくさんいるはず。預けられている子はダメだ」と言われたほか、
そのほかの時も、このような調子で、おかわりすることもできず、いつもお腹を空かせている状態だったことから、近所の畑に忍び込んでは、キュウリやナスを食べて飢えをしのいでいたそうで、
ムツゴロウさんは、子供心にも、
人間ってこんなもんか
と、悔しいより、悲しい気持ちになったのだそうです。(小学4~5年生頃)
「ムツゴロウ(畑正憲)は小学生時代イジメに遭うも返り討ちにしていた!」に続く