1967年に、著書「われら動物みな兄弟」で作家デビューして以来、40年以上に渡り、数多くの自然や動物に関する著書を出版するほか、テレビ番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」により、動物たちと触れ合っている印象の強い、ムツゴロウこと畑正憲(はた まさのり)さんですが、その原点は、生い立ちにあったようです。

「ムツゴロウ(畑正憲)は麻雀を10日連続不眠不休で打ち続けていた!」からの続き

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幼少期は医師である父親の赴任先の満洲で育つ

ムツゴロウさんは、医師であるお父さんのもと、5人兄弟の3番目として、福岡県福岡市で誕生すると、3~4歳の頃、お父さんの赴任先である満洲国に家族と共に移り住んだそうで、

(満洲に渡る前には、八幡(現・福岡県北九州市)で予防注射を打たれたそうですが、怖くて逃げ回ったことが今でも忘れられないそうです)

そこは、周囲を見渡しても何もなく、昼間はオオカミの遠吠えが聞こえ、山ではキジやハトが、川ではナマズやフナがいくらでも捕れる、豊かな大自然の中の開拓団の村だったそうですが、

(ムツゴロウさんがナマズやフナを釣って帰ると、おかずになると家族からとても喜ばれたそうです)

ムツゴロウさんは、当時、住んでいた家について、

小さいころの記憶って、あてにならないこともあるじゃないですか。それで僕、引き揚げてから60年が経ったころに住んでいたところに行ってみたんです。

そうしたら、まぁよくこんなところに住んでいたわって驚くくらい小さな泥作りの家でした。ひどいものでしたよ。「住めば都」とは言うものの、子どものころもひどい家だなとは感じていたんです。

でも実際に大人の目で見てみると、それよりもはるかにひどい有様だった(笑)

と、語っています。

ムツゴロウ一家は原野を切り開いて村を作った本物の開拓団だった

ちなみに、ムツゴロウさんによると、一口に開拓団と言ってもいろいろなケースがあるそうで、ハルビンのような都会に行けば、九州よりも住みやすいほど快適な環境で暮らすことができたそうですが、

ムツゴロウさん一家の開拓団は、原野を切り開いて村を作った本当の開拓団だったそうで、開拓されていない土地に喜んで行く医師がいなかったため、お父さんは珍重されたのだそうです。

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太平洋戦争開戦前に兄と弟が他界

そんな中、太平洋戦争開戦が間近に迫ると、様々な物資がどんどんなくなっていくほか、健康な大人たちが徴用でいなくなって、(働き手がいなくなったため)生活は困難を極め、その影響で、一番上のお兄さんと一番下の弟さんが若くして他界したそうです。

ちなみに、一番下の弟さんは、お父さんが軍隊の身体検査で呼ばれて不在の間に、疫痢(えきり)によって亡くなったそうですが、

(疫痢とは、主に3~4歳の子供がかかる細菌性赤痢(赤痢菌という菌が原因で起こる腸の感染症)の重症型のことを言うそうで、かつては、肺炎と並ぶ、幼児死亡の二大原因だったそうです)

お父さんは、自分の子供の病気より戦争のための身体検査を優先して立派と、美談として扱われ、新聞にまで載ったそうで、

ムツゴロウさんは、

でも、そういう時代だったんですよ。大変だとかなんとか言える状況じゃなかった。人間は与えられた環境の中で生きていかなくちゃいけないわけだから。それが戦争というものなんです。

と、語っています。

「ムツゴロウ(畑正憲)は少年時代に人間不信になっていた!」に続く

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