デビュー当初から「東映東京撮影所」の期待を一心に背負うも、男性向けの映画が中心だった当時の映画界では、あくまで男性スターの相手役ばかりだった、佐久間良子(さくま よしこ)ですが、着実に女優としてのキャリアを積むと、ついに、「東映」初の女性単独主演に抜擢されます。

「佐久間良子の若い頃は男性スターのヒロイン役で多数出演していた!」からの続き

Sponsored Link

投げやりだった?

1959年、映画「母子草」での演技が高く評価された佐久間さんは、以降も、次々と、映画に出演されているのですが、

辛いことがあると、すぐに、

もういい。もう辞める

と、何度も投げやりになったそうです。

それでも、1961年、「故郷は緑なりき」に出演されたあたりから、少しずつ女優という立場を自覚するようになったそうで、作品や役に対する責任感が自然と湧いてくるようになったそうです。

デビュー当時は超ハードスケジュールだった

というのも、佐久間さんは、1958年に映画「美しき姉妹の物語・悶える早春」でデビューが決まり、「東映東京撮影所」に配属されると、何も考えられないくらい忙しかったそうで、

(「東映東京撮影所」では現代劇、「東映京都撮影所」では時代劇を撮影していたそうです)

朝9時からお昼まで、「東映東京撮影所」で江原真二郎さんの相手役として1本撮影すると、午後からは、高倉健さんとの共演映画を17時まで撮影し、

その後、すぐにスタッフに車で東京駅まで連れて行かれて夜行列車に乗って京都に向かうと(当時、京都まで8時間かかったため、到着は翌朝だったそうです)、「東映京都撮影所」(京都・太秦)ではバタバタとメイクをして、中村錦之助(後の萬屋錦之介)さんや大川橋蔵さんの相手役を務め、また夜行列車に乗って東京に引き返すという、超ハードスケジュールだったそうで、

佐久間さんは、

私の寝床は寝台車と言ってもいいくらいでした。よく体を壊さなかったと思いますが、若かったからでしょう。同時並行で作品を撮っているので、もう演技がうまい下手ではないんです。セリフを覚えるのも大変で、恋人の名前を他作品と間違えて怒られたこともあります。

しかも東京と京都で、現代劇と時代劇を演じ分けなければいけない。言葉が違うのはもちろん、衣装も東京では洋服、京都では着物にかつらで、歩き方も違う。慣れるまでは、苦労の連続でした

と、語っておられました。

「人生劇場 飛車角」では初の汚れ役

そんな中、佐久間さんは、1963年、沢島忠監督作品「人生劇場・飛車角」で、飛車角(鶴田浩二さん)の情婦・おとよ役を演じられているのですが、

実は、オファーを受けた当初は、これまで、清純派の役ばかりだったことから、

とてもできない

と、何度も断られたのだそうです。

しかし、当時の「東京撮影所」の所長・岡田茂さん(後の「東映」社長)に、

佐久間君、どうしてもこの役を演じてくれないか

と、頼み込まれ、やむなく引き受けることになったそうで、

初の汚れ役として、「人生劇場・飛車角」に出演されると、陰影のある女を情感たっぷりに演じ、清純派女優から大人の女性へのイメージチェンジに成功。

佐久間さんによると、沢島忠監督は、特に、飛車角とおとよの別れのシーンに力を入れていて、

相手に触れないで別れの芝居をしてくれ

と、言われたそうで、

(「行かないで」と、相手にすがりつく演技が一般的ですが、それは絶対にしないでくれと言われたとのこと)

しかも、8分もの長い時間をワンカットで撮ることになっていたことから、無我夢中で演じたそうで、撮影が終了した時には、すっかりエネルギーを使い切ってしまったそうです。


「人生劇場 飛車角」より。鶴田浩二さんと佐久間さん。

Sponsored Link

「五番町夕霧楼」で東映初の女性単独主演に抜擢

そんな佐久間さんは、1963年には、「東映」が社運をかけた大作「五番町夕霧楼」(田坂具隆監督)で、「東映」史上初の女性単独主演に抜擢されているのですが、

幼馴染との恋を引き裂かれる遊女・片桐夕子役で、薄幸の女性を体当たりで演じられると、その演技が高く評価され、ついに、佐久間さんは、男性向けの映画が中心の当時の映画界において、「東映」の看板女優となられたのでした。

ちなみに、佐久間さんは、

黙々とやってきたご褒美だった。会社の意気込みがすごかった

これは東映初の女性主演で、大変な額の製作費をかけた作品です。京都の遊郭・五番町のオープンセットを東京の撮影所に作りました。

私が演じた夕子が初めて京都へ出てきたシーンで一瞬だけ市電が通るのですが、ワンカットのために本当にセット内に電車を走らせていた。あれには驚きました。

完成した映画は、真っ赤なサルスベリの花が象徴的に使われ、いま観ても詩的で美しい作品です。監督の田坂具隆先生は、映画監督としても人間としても尊敬できる方。撮影中はいつも私のことを「夕ちゃん、夕ちゃん」と役名で呼んで下さった。その声や呼び方が本当に温かかったのを覚えています。

夕子が、千秋実さん演じる呉服屋に「水揚げ」されるシーンでも田坂先生に救われました。初めて演じる場面で私は緊張していたのですが、田坂先生は俳優が何回テストをすれば本番でいい芝居ができるかをしっかりと見抜き、私からいい表情を引き出してくださいました。

また、田坂先生が通行人役の役者の名前も覚えていらっしゃるのに驚きました。画面では米粒ぐらいにしか映らない後方の俳優にも、一人ひとり「こういう気持ちで歩いてください」と演技指導される。監督が名前を覚えて下さるのでみなさん感激してしまう。人間を大切にする方で、今でも一番に尊敬する監督です

と、語っておられました。

「佐久間良子の若い頃は成人映画の主演もしていた!」に続く

「五番町夕霧楼」より。

Sponsored Link