終戦の直前の小学2年生の終わり頃、日本で幼年学校に通う兄に同行して、満洲から日本に帰国し、親戚宅に居候すると、実の子とははっきりと差をつけられ、ご飯もろくに食べさせてもらえず、いつも空腹だったという、ムツゴロウこと畑正憲(はた まさのり)さんは、小学校でもイジメに遭っていたそうですが、なんと、返り討ちにしていたといいます。

「ムツゴロウ(畑正憲)は少年時代に人間不信になっていた!」からの続き

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小学校でもイジメられるも・・・

満洲から命からがら帰国するも、その後、身を寄せた親戚宅では、預けられていた子供だったため、冷たい扱いを受けていたというムツゴロウさんは、このことをきっかけに、根本的な部分で人間不信に陥ってしまったそうですが、

小学校でも、登校初日、教室に入ると、いきなり、いろいろな物を投げつけられ、それらが頭に当たって流血したそうで、

(飛んできた物は竹刀のつばだったそうで、今でも頭に傷跡が残っているそうです)

ムツゴロウさんは、

当時の(大分県)日田なんて、しょせんは田舎ですからね。田舎の人間は、よその国で育った人間・・・しかも親と離れ離れになっている奴なんて、知ったこっちゃないんですよ。そのへんは向こうの気持ちもよくわかります。

と、語っています。

イジメっ子と1対1で決闘し勝利していた

そして、終戦から2年が過ぎた小学校6年生の時、ようやく、お父さんが満洲から帰国したそうで、これでようやくイジメから解放されるかと思いきや、

まだ、突っかかってくる者が絶えなかったことから、ついに、ムツゴロウさんは、決闘することを決意したそうで、えんどう豆を育てるための竹の棒を引き抜き、「来い!」と叫びながら、剣道のルールで、1対1で対決したそうで、

(相手は、ムツゴロウさんより3歳年上の「ドブネズミ」というあだ名がついた悪ガキだったそうです)

ムツゴロウさんは、竹の棒が割れるまで、容赦なく相手を殴って、相手を大出血させ、ワンワン泣かせたそうで、ムツゴロウさんは、「思い知ったか!」と、吐き捨ててその場を去ったのだそうです。

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イジメで悩んだことはなかった

すると、その後、相手の親が激昂しながらムツゴロウさんの家に乗り込んできたことから、ムツゴロウさんのお母さんが、「だったら、もう一度闘わせて白黒つけさせましょうよ」と言うと、

その剣幕に、相手の親もあっけにとられ、それ以上突っかかってくることはなく、事なきを得たそうですが、

ムツゴロウさんは、

今はいじめが社会問題化しているけど、僕の場合は元来が陽気な人間でしたからね。いじめられたからってウジウジ悩むこともなかったし、殴られたってケロッとしていた。そこはある意味で幸運だったのかもしれない。

と、語っており、

学校でのイジメは、親戚宅で虐(しいた)げられていた時ほどのダメージはなかったのだそうです。

「ムツゴロウ(畑正憲)の少年時代が天才すぎる!」に続く

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