1970年、テレビドラマ「サインはV」で、ハーフのアタッカー、ジュン・サンダース役を演じると、たちまちブレイクされた、范文雀(はん ぶんじゃく)さん。1973年には、早くも結婚して引退されるのですが・・・

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年齢は?出身は?国籍は?本名は?別名義も?

范さんは、1948年4月15日生まれ、
東京都中野区のご出身(広島県広島市育ち)、

国籍は、台湾、
(両親も台湾人ですが、両親ともに日本育ちだったため、
 范さんは中国語ができなかったそうです。)

血液型はO型、

学歴は、
広島ノートルダム清心中学校(中高一貫)
⇒清泉女子大学英文別科卒業
⇒上智大学外国語学部比較文化学科中退

ちなみに、范文雀は本名で、「くじゃくのように美しくなるように」
とのことから名付けられたそうです。

(デビュー翌年1969年5月12日放送のテレビドラマ、
「プレイガール」では、「ハン・ザ・摩耶」の芸名で出演されていますが、
 同年9月には本名に戻されています。)


「プレイガール」出演時の范さん。

幼少期

范さんは、お父さんが音楽家だったのですが、
范さんが5歳の時に、台湾に一人で帰国してしまい、

残された范さんは、広島駅前(現在、「福屋」広島駅前店がある一角)で、
「胡蝶園」という中華料理店を経営していた祖父母宅に、
お母さんとお兄さんとともに身を寄せることになります。

(祖父は実の祖父ではなく、祖母が中国にいた頃、使用人だった男を、
 愛人としたもので、実質的な家長は祖母だったそうです)

ただ、祖母に溺愛されていた范さんだけが、
広島市栄橋の本宅で贅沢に育てられ、

お母さんとお兄さん、そして3年後に帰宅したお父さんは、
みすぼらしい店の従業員寮の一部屋で暮らしていたそうで、

その後、両親が東京に移り住むも、范さんだけは、
祖母が手放してくれずに、祖母のもとにとどまらされ、

15歳の時、ようやく家出し上京されたそうで、

范さんは、後に、

最後までこの祖母には馴染めなかった

と語っておられます。

「サインはV」でブレイク

その後、范さんがどうされていたのか不明ですが、1968年、
大学在学中に、「特別機動捜査隊」でテレビドラマデビュー(端役)し、


「特別機動捜査隊」より。中山昭二さんと范さん。

その後も、

1969年「特別機動捜査隊」
     「東京バイパス指令」
     「プレイガール」

などに端役で出演されると、

1970年には、テレビドラマ「サインはV」で、
繊細な心を持ちながら、表面的にはつっぱったキャラクターの、
ハーフのアタッカー「ジュン・サンダース」役を演じ、たちまちブレイク。


「サインはV」より。ジュン・サンダースに扮する范さん。

このドラマでは、范さんは、志(こころざし)半ばで「骨肉腫」で倒れるのですが、
全国のファンから「助命嘆願」の手紙が数多く届くほど人気を博したそうで、

(「サインはV」は1969年10月から放送されていますが、
 范さんは、1970年、第10回目からの登場です)

続く、テレビドラマ「アテンションプリーズ」で、
主人公の親友で、客室乗務員の田村早苗役を演じられると、
范さんの人気は揺るぎないものとなったのでした。


「アテンションプリーズ」より。

寺尾聰と結婚し芸能界を引退

以降、范さんは、数多くの映画、テレビドラマに出演され、
着実に女優としてのキャリアを積まれていたのですが、

人気絶頂だった1973年6月には、
寺尾聰さんと結婚し、芸能界を引退。

実は、お二人は、1971年のテレビドラマ「2丁目3番地」
の共演で知り合われているのですが、

当時は、范さんは萩原健一さんと、
寺尾さんはジュディ・オングさんと交際されていたそうで、

ほどなくして、范さんが萩原さんと破局し、
その後、石橋正次さんと交際するも、長続きせず、


「打ち込め! 青春」で共演されていた石橋正次さんと范さん。

寺尾さんも、ジュディさんが「卵巣腫瘍」の治療を受けてから、
関係がギクシャクするようになって破局。

こうして、傷心だったお二人が交際するようになったのだとか。

ちなみに、お二人の関係は、マスコミにはマークされていなかったため、
結婚してから2ヶ月の8月に、ようやくマスコミにキャッチされ、
翌月の9月、石原裕次郎・まき子夫妻を仲人に、結婚式を挙げられのでした。

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スピード離婚~子どもは?

しかし、そんなお二人も、
翌年の1974年11月には、早くも離婚。
(お子さんはいらっしゃいませんでした)

11月15日には、離婚会見を別々に開かれ、
結婚式で仲人を務めた石原まき子さんがそれぞれの会見に同席されると、

(会見は、寺尾さんが当時所属していた石原プロモーション(東京都・調布市)
 で行われましたが、社長の石原裕次郎さんは「太陽にほえろ!」のロケのため来れず、
 まき子さんが代理を務めることになったそうです)

まず、最初に、まき子さんに付き添われて、
姿を現した寺尾さんは、離婚の理由について、

石原夫妻を見て、男としてああいう家庭をつくりたいと思った。

僕なりに一生懸命、仕事をしたんだけど、
朝から晩まで家にいない状態になってしまった。

いい方向に進むつもりが、結果としてよくなかった。

と、沈痛な面持ちで明かされるも、
それ以上具体的な話はなし。

そして、寺尾さんが退席してしばらくしてから、范さんが現れると、
范さんは、時々笑顔を見せながら、記者の質問に答えつつも、

離婚の理由については、

性格の不一致というか、
最初から相いれない部分があったのかも。

と、けむに巻くような説明に終始。

そのため、なぜ2人が別れるのか、
会見場にいる誰にも分からなかったそうで、

付き添ったまき子さんも、

私たちの世代とは考え方が違うようです。

と首をかしげるばかりだったそうです。

ちなみに、結婚式で仲人を務めた石原夫妻が、
范さんと寺尾さんの結婚式の際、記者から、

仲人は何回目ですか?

と聞かれ、裕次郎さんが、

15組だっけ、16組だったかな。

と、自信なさげに答えると、横にいたまき子さんが、

18組でしょ。

と、訂正。
すると、裕次郎さんは、あわてて、

うち2組が離婚だから。

と、弁解されたそうで、
すかさず、まき子さんが、

縁起でもないことを言わないでよ。

と、たしなめたそうですが、
奇しくも裕次郎さんの予言は当たってしまったのでした。

「范文雀の死因は?余貴美子と?荻島真一と?出演ドラマ映画は?」に続く

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