少女時代、すべてが”規格外”だったという自由奔放なお母さん(中村メイコさん)にしばしば振り回されていたという、神津はづき(こうづ はづき)さん。今回も、引き続き、そんなお母さんとの仰天エピソードをご紹介します。

「神津はづきが小学生の時は母・中村メイコが白塗りで授業参観に来ていた!」からの続き

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酔っ払った母・中村メイコをディスコまで迎えに行かされていた

はづきさんが中学の頃、近所の成城学園駅前に「アナザーワールド」というディスコが出来たそうで、それ以来、お母さんの中村メイコさんは、家で飲んで酔っ払うと、しばしば、そのディスコに踊りに行っていたそうですが、そのまま帰ってこなかったそうで、

はづきさんとお姉さんのカンナさんは、いつも、お父さんに「(お母さんを)迎えに行って来い」と言われ、二人して自転車で迎えに行っていたそうですが、

お店の人が「メイコさん、迎えが来ましたよ」と言っても、お母さんは、「まだ帰らないわよ」と言って踊り続けていたそうで、

そのうち、お店の人が「もう帰ったほうがいいですよ」と、さっきより強い口調で言ってくれ、ようやく、お母さんは、渋々、カンナさんの自転車の荷台に座ったのだそうです。

(中村メイコさんは、後に、そんな女3人の時間はとても楽しかったと語っているのですが、はづきさんとカンナさんは、とても迷惑だったそうです(笑))

母・中村メイコは小学校の給食で居残りさせられていた

また、はづきさんが通っていた東洋英和女学院(小学校)では、母親も給食の手伝いに参加し、子供たちと一緒に給食を食べ、後片付けをすることがあったそうですが、

そんな中、給食を全部食べられなかった子供たちは居残りさせられていたそうですが、もともと少食で牛乳が苦手だった中村メイコさんも、母親たちの中で一人だけ食べきれなくて、居残りさせられ、涙目になっていたそうで、

たまりかねた先生が、「神津さん、もう残していいですよ」と助け舟を出してくれていたそうですが、はづきさんとお姉さんのカンナさんは、そんなお母さんが恥ずかしかったそうです(笑)

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母・中村メイコのことは特権階級と諦めている

そんなことから、はづきさんとお姉さんのカンナさんは、お父さんの神津善行さんに、「恥ずかしいから、ママを来ないようにさせて」と訴えたそうですが、

お父さんには、

何を言っているんだ。あの人は普通のことはできないんだ。パパも我慢しているんだから、あなたたちも我慢しなさい

と、”嬉しそうな顔”で言われたそうで、

はづきさんは、子供ながらに、自分のお母さんに、よそのお母さんみたいなことを望んでも無理だということを学んだのだそうです。

(はづきさんから見ると、お母さんは、「普通のお母さん」役を演じようとしているように見えたそうですが、それは、「普通のお母さん」ではなく「謎のお母様」で、お父さんからは、「やりたいようにやらせとけ」と、しょっちゅう言われていたそうです)

ちなみに、はづきさんは、そんなお母さんについて、

お母さんは、「好きに生きていいですよ」って言われた特権階級。多分、前世で功徳(くどく)を積んだのよ。

と、語っており、現在は、完全に諦めているそうです(笑)

「神津はづきは舞台「屋根の上のバイオリン弾き」の端役で女優デビューしていた!」に続く

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