「朝まで生テレビ!」「サンデープロジェクト」などの討論番組で司会を務め、政治家や評論家との丁々発止のやり取りが人気を博した、田原総一朗(たはら そういちろう)さんですが、今回は、そんな田原さんの著書やドキュメンタリー作品を画像を交えてご紹介します。

「田原総一朗の出演番組ドラマ映画と監督映画を画像で!」からの続き

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著書

それでは、田原さんのデビューからの主な著書をご紹介しましょう。

現代青春の映像―しなやかな独歩行(1967年、時事通信社)
愛よよみがえれ(1967年、栄光出版社)※清水邦夫との共著
「青春 この狂気するもの」(1969年、三一書房)
「テレビ公害うらおもて(編)」(1970年、文化出版局)
「宣言 戦無派100人の思想と行動(編)」(1972年、社会思想社)

「テレビディレクター」(1973年、合同出版)
「青春-あらかじめ失われた時代」(1972年、竹内書店)
「おさまり遅れ中年気質」(1975年、筑摩書房)
「大統領を知らない人たち アメリカで見たしたたかな生き方」(1975年、実業之日本社)
原子力戦争(1976年、筑摩書房)


原子力戦争

「異常愛 ケーススタディ ドキュメント完全採録」(1976年、エフプロ出版)※編著、取材協力:原一男
現代青春の映像 しなやかな独歩行(1976年6月、時事通信社)
第三の性 ドキュメント(1977年4月、エフプロ出版)
翔べ田原総一朗 テレビ全力投球(1977年4月、創世記)※嗚呼!花の十二年(年表)収録
通貨マフィア戦争(1978年1月、文藝春秋)
穀物マフィア戦争(1978年2月、実業之日本社)
鉄神話の崩壊(1978年6月、潮出版社 )
クールな宰相候補 ゲームズマンとしての宮沢喜一(1978年9月、学陽書房)
憂鬱なる密閉軍団(1978年10月、潮出版社)
アラブからみたニッポン(1979年3月、ちはら書房)
激烈なる漂流者 翔んだ男達の軌跡 ヒューマン・ドキュメント(1979年7月、PHP研究所)


激烈なる漂流者 翔んだ男達の軌跡 ヒューマン・ドキュメント

8人の超権力者 その力の源泉をさぐる(1979年6月、学陽書房)
辣腕 切れて出来てしたたかな10人(1979年9月、学陽書房)
エネルギーマフィア(1979年11月、日刊工業新聞社)
日本の官僚1980(1979年12月、文藝春秋)
日本のパワー・エリート この人びとが、あなたの運命を変える(1980年3月、光文社)
“異色”創業者の発想 勝ち抜くための12カ条(1980年11月、PHP研究所)
遺伝子産業革命(1981年6月、文藝春秋)
「日本式支配者たち」(1981年7月、中央公論社)


“異色”創業者の発想 勝ち抜くための12カ条

生存への契約 誰がエネルギーを制するか(1981年1月、文藝春秋)
電通(1981年9月、朝日新聞社)
「マイコン・ウォーズ」 (1981年12月、文藝春秋)
「人を率いる トップリーダーの研究」(1982年4月、学陽書房)
「情報嗅覚入門 日本の、何を予知するか」(1982年5月、ベストセラーズ)


電通

「時代を読むための取材ノート」(1982年5月、話の特集)
「先端技術時代の選択 あなたの会社は生き残れるか」 (1982年6月、二見書房)
「首領に迫る」(1982年6月、サンマーク出版)
人を率いる トップリーダーの研究(1982年4月、学陽書房)
「ビジネス・エリートの情報嗅覚入門 日本の、何を予知するか」(1982年5月、ベストセラーズ)
「業際」の時代(1983年3月、プレジデント社)
「電子戦争・メディア戦争」(1983年3月、文藝春秋)
「独創人間ここにあり 先端技術のトップランナ-」(1983年7月、新潮社)
「新メディアウォーズ 一般産業編」(1983年7月、文藝春秋)
「高度情報社会と企業・生活へのインパクトを探る 誤りなく生き抜くために」(1984年3月、東京商工会議所)


人を率いる トップリーダーの研究

「生命探検 脳と老化」(1984年4月、文藝春秋)
「新・内務官僚の時代」(1984年4月、講談社)
「日本をデザインするキーパーソン」(1984年7月、潮出版社)
「21世紀あなたはどうなる」(1984年8月、講談社)
「独創の狩人 先端技術の“最先端”に挑戦する!」(1984年10月、旺文社)
「テクノコンフィデンシャル 企業挑戦・極秘情報」(1984年10月、小学館)
飽食時代の性 セックス・ウォーズ(1984年11月、文藝春秋)
「ぼくだけの取材ノート」(1985年1月、中央公論社)
「外側発想新「学芸の時代」に向けて」(1985年2月、TBSブリタニカ)※小川明との共著
「業態革命」 (1985年4月、新潮社)


飽食時代の性 セックス・ウォーズ

「平和 5時間闘論 なにを、いかにして守るのか」(1985年4月、未來社)
「ザ・ファーストランナー」(1985年7月、筑摩書房)
「細胞に刻まれた未来社会」(1985年10月、朝日出版社)※岡田節人との共著
「世界企業(エクセレントカンパニー)・日本攻略司令官」(1985年12月、ビジネス・アスキー)
「日本大改造 新・日本の官僚」(1986年3月、文藝春秋)
ソニーが叩き潰されない理由 松下・日立にジャンボトロンはつくれなかった(1986年1月、ネスコ)
「世界企業・日本攻略司令官」(1986年1月、ビジネス・アスキー)
「安倍・竹下にすんなり政権がいかない理由 日本のリーダーの条件」(1986年5月、光文社)
「生きぬく銀行泣く銀行」(1986年5講談社)
戦後財界戦国史 総理を操った男たち(1986年7月、講談社)


戦後財界戦国史 総理を操った男たち

「ドキュメント東京電力企画室」(1986年9月、文藝春秋)
「混迷日本の先を読む サバイバル・ウォーズに向けて」(1987年6月、プレジデント社)
「逆境脱出のシナリオ 創意ある企業の現場から」(1987年6月、新潮社)
「時代を歩く 取材ノート’84〜’87」(1987年8月、文藝春秋)
「円を撃て マネー・ウォーズ最前線」(1987年9月、 講談社)
「新・日本改造論 日本、そして企業はいま、何をなすべきか」(1987年11月、世界文化社)
「田原総一朗のパソコンウォーズ 90年代のパソコンをプロデュースする男たち」(1988年12月、日本ソフトバンク出版事業部)
こうして円高に勝った(1988年5月、中央公論社)
「巨大企業・復活への挑戦 生き残り革命の現場から」(1988年2月、PHP研究所)
「産業大転回のシナリオ “脱成熟”時代の経営を求めて」(1988年10月、日刊工業新聞社)


こうして円高に勝った

日本の創業超資産家たち なぜ彼らはビッグになったのか(1988年5月、徳間書店)
「日米インテリジェンス戦争 アメリカが仕掛けたソフトの罠」(1989年1月、文藝春秋)
「柔らかな企業への変革 カリスマ経営からの脱皮」(1989年2月、PHP研究所)
「知の旗手」(1989年7月、潮出版社)
「闘論二千年の埋葬 日本人になにが起こっているか」(1989年7月、ネスコ)※栗本慎一郎との共著
「時代を仕掛ける 田原総一朗と10人の男たち(編)」(1989年9月、フジテレビ出版)
「田原総一朗の新パソコンウォーズ あなたの知らなかった’90年代パソコンの現実」(1990年5月、日本ソフトバンク出版事業部)※富田倫生との共著
「テレビ仕掛人たちの興亡」(1990年3月、講談社)
「平成・日本の官僚」 (1990年3月、文藝春秋)
「田原総一朗の発想現場」(1990年9月、文藝春秋)


日本の創業超資産家たち なぜ彼らはビッグになったのか

「世代交代の嵐 トップ交代の現場」(1990年11月、講談社)
「企業維新 90年代企業の生き残り戦略」(1990年11月、PHP研究所)
「第三の経営 “日本型”の壁を破る」 (1991年1月、世界文化社)
「円」を操った男たち―政財官マネー人脈の暗闘 (1991年3月、講談社)
「脱・日本の知恵 時代の風はどこに吹くか 田原総一朗の風の現代史」1991〜1992 (1991年7月、徳間書店)
「田原総一朗的発想! The fighting column」 (1992年2月、毎日新聞社)
「メディア王国の野望」 (1992年1月、文藝春秋)
「決断 日本の防衛と対米戦略」(1992年3月、リブロポート)※田岡俊次との共著
「静脈思考 人類が共生するための知恵」 (1992年4月、文藝春秋)
「トップ経営者の新企業戦略」(1992年7月、時事通信社)


「円」を操った男たち―政財官マネー人脈の暗闘

「日本コンピュータの黎明 富士通・池田敏雄の生と死」(1992年9月、文藝春秋)
「福沢諭吉の名文句 組織の崩壊をどう生き抜くか」 (1992年10月、光文社)
「日本大改造案 いま、平成維新のときだ 激論」 (1992年11月、徳間書店)※大前研一との共著
「格闘宣言! 田原総一朗的発想2」(1993年3月、毎日新聞社)
「日本が変わる、会社が変わる」(1993年12月、プレジデント社)
「30代を生き抜く人生哲学 いま考えることは何か、やるべきことは何か(編著)」 (1993年10月、PHP研究所)
無器用を武器にしよう 自分を面白くする知恵 (1994年2月、青春出版社)
「うろたえるな、日本―アジアから見た日米関係」 (1994年10月、徳間書店)※大前研一、ビル・トッテンとの共著
「変革の時代を切り取る発想」 (1995年1月、文藝春秋)
「いま、民主リベラル」 (1995年1月、社会民主党)※久保亘との共著


無器用を武器にしよう 自分を面白くする知恵

「田原総一朗の逆転勝ちの発想 先の見えない時代の15の自己戦略」 (1995年7月、青春出版社)
「変革の時代を切り取る発想」(1995年1月、文藝春秋)
「日本の針路 真の「国益」を求めて」(1996年8月、徳間書店)
「戦後五十年の生き証人」が語る」(1996年4月、中央公論社)
「田原総一朗の闘うテレビ論」 (1997年3月、文藝春秋)
ウン(運)・ドン(鈍)・コン(根)がぼくの生き方 弱さを強さにするヒント (1997年6月、青春出版社)
「頭のない鯨 政治劇の真実」(1997年10月、朝日新聞社)
「日本再敗北」 (1998年4月、文藝春秋)※山田厚史との共著
「巨大な落日 大蔵官僚、敗走の八百五十日」 (1998年8月、文藝春秋)
「田原総一朗の科学の巨人たち 人間圏はどんなユニットで21世紀を迎えるべきか」(1998年8月、KSS出版)


ウン(運)・ドン(鈍)・コン(根)がぼくの生き方 弱さを強さにするヒント

戦争論争戦 小林よしのりvs.田原総一朗 (1999年2月、ぶんか社)※小林よしのりとの共著
「金融・経済日本再生! 『自由競争』万能は間違いだ!!」(1999年3月、扶桑社) ※榊原英資との共著
「〈激論〉日本経済の「謎」を徹底解剖する」(1999年5月、ビジネス社)※カレル・ヴァン・ウォルフレンとの共著
「この国はどこへ行くのか―田原総一朗対談集」 (1999年5月、中央公論新社)
「異端児になれる人出来損ないで終わる人」 (1999年6月、青春出版社)
「結局、どうすりゃ売れるんですか。ヒットメーカーに聞く、成功の秘訣」 (1999年7月、ぶんか社)
「2000年からの大転換 回復の10年が始まる」(2000年2月、PHP研究所) ※長谷川慶太郎との共著
「生き残りの戦略」 (2000年9月、学習研究社)
「ジャパン・モデル 日本が米国を再び追い抜く日」 (2000年10月、PHP研究所)
「IT革命のカラクリ 東大で月尾教授に聞く!」(2000年11月、アスキー) ※月尾嘉男との共著


戦争論争戦 小林よしのりvs.田原総一朗

「日本の戦争」 (2000年11月、小学館)
「面白い奴ほど仕事人間 自分で「自分」を生きよう」 (2000年12月、青春出版社)
「勝つ日本」 (2000年12月、文藝春秋)※石原慎太郎との共著
日本はなぜ負ける戦争をしたのか。朝まで生テレビ!(2001年8月、アスキー)※責任編集
「「勝ち組」の構想力 21世紀、われわれはいかに富を創出するか」(2001年7月、PHP研究所)※大前研一との共著
「日本のカラクリ」 (2001年5月、朝日新聞社)
「脱「ダメ日本」宣言」(2001年12月、アスキー) ※田中康夫との共著
それでも、小泉純一郎を支持します Discover Japan 1955-2002 (2002年3月、幻冬舎)
「勝つ経済」 (2002年8月、PHP研究所)※宮内義彦との共著
「退場宣告 居直り続ける経営者たちへ」 (2002年9月、光文社)※木村剛との共著


日本はなぜ負ける戦争をしたのか。朝まで生テレビ!

「日本の政治 田中角栄・角栄以後」 (2002年9月、講談社)
「日本のカラクリ21 小泉、真紀子政治と金テロから有事へ」(2002年8月、朝日新聞社)
「大逆転 新しい日本モデルの挑戦」 (2002年7月、東洋経済新報社)※御手洗冨士夫、金子勝との共著
「日本よ!日本人よ!(編)」(2002年12月、小学館)
「私たちの愛」 (2003年1月、講談社)※妻の田原節子との共著
「「茹で蛙」国家日本の末路 日本が元気になる最後の一手」 (2003年6月、ビジネス社)※大前研一との共著
愛国心(2003年6月、講談社)※西部邁、姜尚中との共著
「経営の極意 達人・田原総一朗が引き出す」 (2003年8月、幻冬舎)
「田原総一朗の早大講義録 政治・経済のカラクリ」 (2003年9月、アスコム)
「日本の戦後 上 私たちは間違っていたか」 (2003年9月、講談社)

「生きのびよ、日本!!」 (2003年12月、朝日新聞社)※岡本行夫との共著


愛国心

「朝まで生テレビ!「愛国心」「国益」とはなにか。」 (2004年1月、アスコム)※責任編集
「田原総一朗の早大講義録2 」 (2004年3月、アスコム)
「徹底討論!皇室は必要か 朝まで生テレビ!」(2004年9月、PHP研究所) ※責任編集
「連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ」(2004年9月、集英社)
「もっと知りたい! 田原節子がん対論 知りたがり患者の命を延ばしたがんの新常識」(2004年11月、エビデンス社) ※妻の田原節子の編著
「僕はこうやってきた」 (2004年11月、中経出版)※矢崎泰久構成
戦後最大の宰相田中角栄(2004年12月、講談社)
「最新・日本のカラクリ」 (2004年4月、アスコム)
「田原総一朗の聞き出す力 仮説を立てられる奴が生き残る! 」(2004年1月、カナリア書房)


戦後最大の宰相田中角栄

「日本の生き方 “定年”を迎えた戦後民主主義」 (2004年12月、PHP研究所)
「「小泉の日本」を読む」 (2005年2月、朝日新聞社)
「国家と外交」 (2005年11月、講談社)※田中均との共著
「日本の力」 (2005年3月、文藝春秋)※石原慎太郎と共著
「田原総一朗の早大「大隈塾」講義録. 2005 激論!日本経済編」 (2005年5月、ダイヤモンド社)※早稲田大学21世紀日本構想研究所との共著
「日本の戦後 下 定年を迎えた戦後民主主義」 (2005年7月、講談社)
「経済神話のカラクリ」 (2005年7月、アスコム)
政治と権力のカラクリ (2005年7月、アスコム)
メディアと権力のカラクリ(2005年9月、アスコム)
「田原総一朗激論!日本の外交と経済」 (2005年9月、ダイヤモンド社)※早稲田大学21世紀日本構想研究所との共著


政治と権力のカラクリ

「オフレコ! Vol.1」(2005年8月、アスコム)※責任編集
「オフレコ! Vol.2」(2006年2月、アスコム)※責任編集
「大日本帝国の民主主義 嘘ばかり教えられてきた!」 (2006年4月、小学館)※坂野潤治との共著
「テレビと権力」(2006年4月、講談社)
「田原総一朗激論!日本の憲法と経済」(2006年4月、ダイヤモンド社)※早稲田大学21世紀日本構想研究所との共著
「RNAルネッサンス 遺伝子新革命」(2006年6月、医薬経済社)※中村義一との共著
「オフレコ Vol.3」(2006年8月、アスコム)※責任編集
日本の戦争 封印された言葉(2006年8月、アスコム)
「憂国論」 (2006年9月、朝日新聞社)
「市場浄化」(2006年10月、講談社)


日本の戦争 封印された言葉

田原総一朗誇りの持てる国誇りの持てる生き方(2006年10月、ダイヤモンド社)※早稲田大学21世紀日本構想研究所との共著
「オフレコ!別冊[永久保存版]昭和史のカラクリ「戦争」「天皇」「靖国」を徹底検証!」(2006年12月、アスコム)※責任編集
「オフレコ!別冊[最高権力の研究] 小泉官邸の真実 飯島勲前秘書官が語る!」(2007年1月、アスコム)※責任編集
「田原総一朗誇りの持てる働き方誇りの持てる生き方」(2007年4月、ダイヤモンド社)※早稲田大学21世紀日本構想研究所との共著
「オフレコ! Vol.4」(2007年5月、アスコム)※責任編集
「正義の罠 リクルート事件と自民党-20年目の真実」(2007年6月、小学館)
「BC級戰犯60年目の遺書 日本の戰争」 (2007年8月、アスコム)
「日本、変革 ニッポンが見えてくる世界一エキサイティングな授業」(2007年11月、ダイヤモンド社)
「オフレコ!Vol.5」 (2007年11月、アスコム)※責任編集
「日本の大逆襲 「改革」「格差」を超えて、新しい成長が始まる」(2007年12月、PHP研究所)※長谷川慶太郎との共著


田原総一朗誇りの持てる国誇りの持てる生き方

「検察を支配する「悪魔」」 (2007年12月、講談社)※田中森一との共著
「再生日本」 (2008年11月、講談社)
「再生力」 (2009年3月、イースト・プレス)※野村克也との共著
「田原の眼力」 (2010年1月、扶桑社)
「田原式つい本音を言わせてしまう技術」 (2010年2月、幻冬舎)
知らないではすまないニッポンの政党(2010年7月、アスキー・メディアワークス)
「今だから言える日本政治の「タブー」」(2010年7月、扶桑社)
「緊急提言! デジタル教育は日本を滅ぼす」 (2010年8月、ポプラ社)
「Twitterの神々 新聞・テレビの時代は終わった」(2010年12月、講談社)
「40歳以上はもういらない」(2013年5月、PHP研究所)


知らないではすまないニッポンの政党

創価学会 (2018年9月、毎日新聞出版)


創価学会

伏魔殿菅義偉と官邸の支配者たち (2020年1月、宝島社)※望月衣塑子、前川喜平、山田厚史との共著


伏魔殿菅義偉と官邸の支配者たち

公明党に問う この国のゆくえ (2020年9月、毎日新聞出版)※山口那津男との共著


公明党に問う この国のゆくえ

著書(訳書)

また、訳書も、

テクノクラシー (1984年10月、講談社)※ブルース・ナスバーム


テクノクラシー

コンピュータ国家 (1984年1月、ティビーエス・ブリタニカ)※デービッド・バーナム
ザ・ジャパニーズ・パワーゲーム (1991.11、JICC出版局)※ウイリアム・J・ホルスタイン(監訳)


ザ・ジャパニーズ・パワーゲーム

ブルックリンの先はどこもトウキョウ(1994年10月、白水社)※ラリー・キング


ブルックリンの先はどこもトウキョウ

など、出版されています。

テレビドキュメンタリー

そして、テレビドキュメンタリーも、

1965年「ガンに挑む」
     「海氷二つの顔」
     「救命ボート人影なし」
     「高所恐怖症」
     「どぶねずみ」
     「ルポルタージュ血」

1966年「東京の休日」
     「異国の青春」
     「ある学生運動家のゆくえ」
     「植村美智代20才」
     「ストリッパー」

1967年「異国の中の青春」
     「愛」
     「フリーセックス時代~青春ごっこ~」
     「被害者の妻と加害者の妻と~ある引き逃げ~」
     「フーテン作戦~若者たちに何ができるか~」
     「半日本人だった18年~丁貞美の帰国」
     「モノ・セックスの時代~ミセスジェントと奇妙な男友だち~」
     「学生右翼?~11・12私は羽田にいた~」

1968年「若者たちの船〜わたしの沖縄」
     「ジャンピング8」

1971年「金曜スペシャル『日本の花嫁』」
1974年「金曜スペシャル『実録マリリン・モンロー』」

テレビドキュメンタリー(ドキュメンタリー青春)

1968年「さらば沈黙の日~音のない恋人たち」
     「新宿ラリパッパ~このハレンチな魂の軌跡~」
     「私は密輸団のルポ」
     「オレはどん百姓ボクサーだ」
     「出発(その1)~少年院をでたMの場合」
     「出発(その2)」

1969年「『わたしたちは・・・』〜カルメン・マキの体験学入門」
     「ガン番号53372~片腕の俳優高橋英二~」
     「連続射殺魔と13人の若者たち~オレたちが生きた東京の四年間~」
     「狂気する若者たち~“紅毛美少女怨霊歌”由来~」
     「バリケードの中のジャズ~ゲバ学生対猛烈ピアニスト~」
     「天皇と死と~ある右翼青年の心情とその生~」
     「暴発する19才」


「バリケードの中のジャズ~ゲバ学生対猛烈ピアニスト~」より。

1970年「ちびっこ家族アフリカ大縦断」
     「ニャロメに何ができるか?」
     「オレはガンじゃない~片腕俳優高橋英二の一年半~」
     「卒業〜ある女子大生の体験的告白〜」
     「広場+死〜メーデーその50年の青春」
     「私は現在を歌う~藤圭子 6月の風景」
     「あるピンク女優作家の肉体による共同幻想論」
     「あるコンビナートの夏の出来事」
     「ドギつく生きよう宣言~もう一人の永山則夫・三上寛~」
1971年「拝啓 藤純子様~やくざ映画と人はいうけれど~」
     「ある告白~カルメン・マキの二年間~」


「私は現在を歌う~藤圭子 6月の風景」より。

テレビドキュメンタリー(ドキュメンタリーナウ!)

1972年「総括!知る権利~連合赤軍から機密漏えい事件まで~」
     「蒸発の父親27年目の帰郷」
     「生き続けるゲリラ共同体~若者はなぜ筑豊をめざす?~」
     「赤色エレジー~だめなだめな若者たちの夏~」
     「英雄待望の時代~戦争しか知らない若者たち~」
     「宣言ポルノ女優白川和子」
     「早稲田解放戦線・虚と実」

1973年「錬金術師阿久悠の大実績」
     「永田洋子その愛その革命その・・・」※田中美津さんとの往復書簡。
     「原子怪獣積丹半島を襲う~ある開発の波紋~」
     「もうひとつの死民~阿賀野川レポート~」
     「僕たちの戦争~戦車をとめた若者は~」
     「空飛ぶ円盤がやってくる」


「永田洋子その愛その革命その・・・」より。

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テレビドキュメンタリー(シリーズ・特集)

1974年「ニューヨーク番外地~心やさしきマフィアたち~」
     「ウィンターソルジャー~アメリカの戦後~」
     「ウィンターソルジャー~黒人編~」
     「直撃・大企業のミドルは何を考える」
     「法は誰のもの~刑法改正是非~」
     「されどわれたが夏」
     「新若者考~シラケの季節をぶっとばせ~」
     「直撃 中核VS核マル」
     「あるテレビディレクターの投げた波紋」※未発表
1977年「アパルトヘイトの実態~南アフリカの夜と霧~」

など、制作されています。

「田原総一朗の最初の妻は3歳年上の従姉妹!馴れ初めは?」に続く

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