1983年9月、妻の末子さんが、9年間の闘病の末、54歳という若さで他界した、田原総一朗(たはら そういちろう)さんですが、末子さんが闘病中も、村上節子さんとの不倫は続いていたそうで、末子さんの死から5年後、節子さんと再婚したそうです。

「田原総一朗は不倫中に妻を乳ガンで亡くしていた!」からの続き

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妻の死から5年後に村上節子と再婚

妻の末子さんがガン闘病中も、村上節子さんと不倫関係が続いていたという田原さんは、その間は、節子さんと、どうやって心中しようかという話ばかりしていたそうで、

末子さんが亡くなった後もしばらくは、(この頃、すでに夫と別れていた)節子さんと再婚する気にはとてもなれなかったそうです。

ただ、3年ほど経った頃、考えが変わり、節子さんにプロポーズすると断られてしまったそうで、さらに、それから2年経った頃(末子さんが他界して5年後)、改めてプロポーズすると、この時は、節子さんも「そうしようか」とプロポーズを受けてくれたそうで、1989年8月15日、節子さんと結婚したそうです。

(結婚式は挙げずに、写真を撮っただけだったそうです)

村上節子は田原総一朗の体調不良を気遣いプロポーズを受けていた

ちなみに、節子さんが2回目のプロポーズを受けてくれたのは、田原さんの体調不良を気遣ってくれてのことだったそうで、

田原さんは、もともと胃腸が弱く、ストレスが溜まると便秘になって眠れず、夜中に節子さんに電話をして「どうしよう」と情けない声を出したこともあったそうですが、節子さんは、その度に励ましてくれ、朝一番で田原さんを病院に連れて行ってくれたこともあったほか、

田原さんが、早朝に節子さんに電話をして、「具合が悪いから、今日の講演会を断ってくれ」と頼むと、節子さんが主催者に連絡して平謝りし、代わりの講演者を探して手配するところまでやってくれたこともあったそうです。

(田原さんの娘たちは、この再婚にほとんど反対しなかったそうですが、田原さんは節子さんと不倫中も、娘たちの就職の世話をしていたほか、親戚や恋人だった節子さんの娘の面倒も見てきたそうで、このことから、寛容に受け止めてくれたのでは、と思っているそうです)

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村上節子と再婚後はさらに胃腸の調子が悪化していた

さておき、田原さんと節子さんは、結婚後もしばらくは別々の家で暮らしていたそうですが、1989年の大晦日(おおみそか)から、田原さんが節子さんの自宅に転がり込む形で、一緒に暮らし始めたそうです。

ただ、いざ、節子さんと一緒に暮らしてみると、胃腸の調子がさらに悪化し、さらに眠れなくなってしまったそうで、

(ダブルベッドで節子さんと一緒に寝ていると、節子さんの寝息でさえ気になって眠れなかったそうです)

仕方なく、廊下に布団を敷いて寝たり、別の部屋で寝たりしたのだそうです。

「田原総一朗は2人目の妻・節子に献身的に看病されていた!」に続く

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