歌手活動を一つの事業と見立て、売れるための様々な戦略を立てていたという、千昌夫(せん まさお)さんは、全盛期の頃でさえ、年間200ヶ所以上の地方公演をこなしていたといいます。

「千昌夫は「星影のワルツ」「北国の春」共に粘り強く歌い続け大ヒットさせていた!」からの続き

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地方公演はギャラが高かった

一般的に、大ヒットを飛ばした千さんクラスの有名歌手になると、年間、何日間かは都心の会場でコンサートはするものの、地方公演はほとんどしなかったそうですが、千さんは、年間200ヶ所以上の地方公演を行っていたといいます。

では、なぜ、千さんが地方公演を好んだかというと、まずは、その利益の多さだったそうで、地方公演での千さんのギャラは、多い時で、1日700万円前後だったこともあったのだそうです。

(テレビだと、仮に一日中出ずっぱりだとしても、これほどの出演料は得られないそうです)

ちなみに、主催者側にとっても、通常、千さんクラスの人気歌手になると、舞台や控室の設備から会場の照明に至るまでうるさく注文があるところ、千さんはというと、場内の席が観客で埋まっていれば満足で、会場設備についてはほとんど文句を言わなかったことから、千さんの公演はやりやすかったようです。

地方公演では自分の好きな歌を歌うことができたうえ反応も直接感じ取れた

また、地方公演なら、自分の好きな歌を心ゆくまで歌うことができたそうで、さらには、その歌を歌ったその場で、観客の反応を直接感じ取ることができたからだそうです。

(テレビの歌番組に出演する場合、たとえ1時間番組でも、出演する歌手は、リハーサル、待ち時間などを含め3時間前後拘束され、しかも、歌う曲数はせいぜい1曲か2曲程度、しかも、歌う相手はカメラだったため、拍手も歓声もなく、観客の反応を直接得ることができず、千さんには物足りなかったのだそうです)

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地方公演ではかなりの宣伝効果が期待できた

そして、演歌歌手にとっては、キャバレーのホステスや酔っぱらい客こそ、ファンの中心であり、ここで、新曲を歌えば、かなりの宣伝効果が期待できたからだそうで、

このことから、千さんは、月によっては、クラブやキャバレーに、まるまる出ずっぱりということもあったのだそうです。

「千昌夫のデビューからの歌(ディスコグラフィ)を画像で!」に続く

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