全盛期の頃でさえ、都心でのコンサートだけでなく、年間200ヶ所以上もの地方公演を行っていたという、千昌夫(せん まさお)さんは、人との出会いも大切にしていたそうで、ファンはもちろんのこと、歌手活動以外の人との交流も大切にしていたそうです。

「千昌夫のデビューからの歌(ディスコグラフィ)を画像で!」からの続き

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最初の妻とテレビCM「クイントリックス」に出演

1977年4月に発売した24枚目のシングル「北国の春」が大ヒットした千さんは、同年、松下電器のテレビ「クイントリックス」のテレビCMに、当時の妻・シェパードさん(アメリカ人歌手)と共演しているのですが、

千さんが、

うちのカアちゃん、英語うまいんだから。どこで覚えたの?

と、尋ねると、

(新製品のテレビをはさんで、椅子に座っている)シェパードさんが、甲高い声で、

イワテケン!

と、返事をするというもので、

当時、この「イワテケン!」は流行語となり、その宣伝効果のおかげで、新製品のテレビ「クイントリックス」は、予想販売台数の2~3割アップの売上を記録したそうです。


松下電器のテレビ「クイントリックス」のCMより。

交換した名刺の裏には必ずその人物についてメモしていた

そんな千さんは、人気絶頂期を迎えるのですが、初対面の相手でも気軽に挨拶し、名刺を交換していたそうで、しかも、その名刺をそのままポケットにしまうのではなく、名刺の裏側に、会った日付、どんな人物だったかをそっとメモしておくことを忘れないようにしていたそうで、

(初対面の人であったとしても、将来、何かでお世話になるかもしれない、という発想が、いつも頭の中にあったそうです)

こうした人との出会いを大切にしたことで、幅広い人脈を持つようになり、それが、事業につながっていったそうです。

日頃から時間をムダにせず事業のヒントになるものを探していた

また、日頃から、1日24時間という限られた時間をムダにしないよう、大切に使っていたそうで、車に乗って移動している時も、絶えず外の景色に気を配り、ビルの造り、看板のおもしろさなどをチェックして、常に、自分の事業のヒントになるものはないかと、思案していたそうです。

(一般的に、芸能人は、職業上、家に帰ってからもテレビを見ることが多いそうで、歌手の場合は、ほかの歌手が歌うのを見て研究するそうですが、千さんは、ほかの人の歌は直接現場でゆっくり見ることができる(つまり時間のムダ)と、テレビを見ることはあっても、ドキュメンタリーやニュースを見ていたそうです)

ファンとは食事を共にするほか後日電話でお礼をすることもあった

そして、地方のホテルなどに宿泊している時、ファンから「私は千さんの大ファンなんです」と声をかけられると、時間の余裕がある時には、一緒に食事をするほか、

これぞと思った人には、翌日(または日が経っても)「先日はお世話になりました」と電話を入れるようにしていたそうです。

(電話を受けた相手の人は、その律儀さに感激したそうです)

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人に好かれるキャラクターで実業家たちとの交流を増やしていた

そのほか、千さんは、これはと思った友人に対して、とことん面倒を見るほか、

(同じ東北出身の歌手・吉幾三さんのデビュー曲「俺ら、東京さ行くだ」のレコード吹き込みの際には、千さんが資金的な面をすべてバックアップしたそうで、以降、二人の親密な交流は続いたそうです)

気軽に人の輪の中に飛び込んでいき、自分がミスを犯せば、本気で土下座をして詫びていたそうで、結果、多くの友人ができ、

千さんが赤坂にビルを建てた頃からは、特に、不動産、 銀行、ホテル関係者、ビル経営者などの実業家たちとの交際が、芸能関係者よりも次第に増えていき、その交友関係の中から、「こんな事業はどうか」とアドバイスをしてくれる人も出てきたのだそうです。

(千さん自身も、毎日毎日、ヒット曲を意識して歌を歌い続ける歌手生活に疲れを感じ始めていたそうで、テナントビルの事業の方が、歌手業よりはるかに刺激を感じ、急速に魅せられていったのだそうです)

「千昌夫は事業を拡大し過ぎて借金が膨らみ芸能活動を停止していた!」に続く

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