「自転車操業」的な経営で借金が膨らみ、その返済に奔走しなければならなくなったことから、1988年には、芸能活動を一切停止し、事業に専念するも、追い打ちをかけるようにバブル崩壊の兆しが見え始め、借金返済のため、地方公演を再開したという、千昌夫(せん まさお)さんは、1991年には、それでも追いつかなくなり、本格的に歌手活動を再開します。

「千昌夫は事業を拡大し過ぎて借金が膨らみ芸能活動を停止していた!」からの続き

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「おやじ先生」で歌手活動を本格的に再開するも・・・

千さんは、1991年3月、5年ぶりに、新曲「おやじ先生」を発売し、歌手活動を本格的に再開させると、

その際、

恩師である遠藤実さんから「千は商売だけでは惜しい。もう一度歌わないか」と言われ、その気になっていた

と、語っているのですが、

この、千さんの芸能界復帰には、

不動産の資金繰りが苦しくなったためでは

事業の先行きがあやしくなった今、実業家としての今日があるのは、歌手・千昌夫があったからこそと再認識して、 歌手としてのネームバリューで信用を回復しようとしているのでは

と、様々な噂が流れました。


「おやじ先生」

歌手活動再開は経営危機のためと認める

すると、千さんは、雑誌「アエラ」(1991年4月30日・5月7日合併号)で、

いや、もう参りました。バブルがはじけて、やっぱり大変です。ここをなんとか乗り越えられれば強くなれると、一生懸命やっているところですよ。

この正念場に挑もうと、ボクも歌手に復帰しました。ボクの日建てのギャラが700万円ですから、負債に対して、焼け石に水以上のことはあると思う

と、自身の芸能界復帰の本当の理由を打ち明けています。

また、「週刊現代」(1991年2月9日号)では、

ボクはやっぱり歌手・千昌夫でして、事業はどっかアマチュアなところがある。やっぱり、歌手のほうが通りがいいです

とも、語っており、

事業が経営危機に陥ったことで、「歌手・千昌夫」あっての「実業家・千昌夫」があるのだと、再認識したのだそうです。

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バブル崩壊で不動産が3~4割減もしくは売れなかった

そんな中、千さんは、経営危機を乗り越えるべく、地方公演と資産の売却に邁進していたのですが、不動産はほとんど売れず、売れたとしても、バブル崩壊による時価の下落で、1991年頃には、購入時の価格よりも3~4割目減りしていたことから、

(海外の物件に至っては、購入時より約6割も目減りしていたそうです)

たとえ、すべての物件を売却できたとしても、手に入るのは1000億円程度で、なお1000億円ほどの借金が残る状態だったそうです。

「千昌夫は借金1000億円以上を抱え破綻するも誠意ある対応をしていた!」に続く

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