1968年に阪神タイガースに入団して以来、10年で9度の20本塁打以上を達成するほか、1975年には、巨人の王貞治さんの14年連続本塁打王を阻止して本塁打王に輝くなど、素晴らしい活躍をした、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、1978年11月には、阪神球団から深夜に呼び出され、西武へのトレードを通告されたといいます。

「田淵幸一は本塁打王の年に左手首負傷も右腕1本で2本塁打していた!」からの続き

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阪神球団から深夜に突然電話で呼び出されていた

1978年11月14日、田淵さんは、この日、和歌山にゴルフに行き、帰ってきて、そろそろパジャマに着替えて寝ようと思っていた時(日付が変わって11月15日午前1時前)、西宮市新垣町の自宅マンションに、阪神の球団関係者から電話がかかってきて、

すぐホテル阪神まで来てほしい。小津(正次郎)社長から話がある

と、言われたといいます。

実は、この頃、田淵さんの去就問題がスポーツ紙をにぎわせていたことから、田淵さんも、なんとなく察しはついていたそうで、深夜に呼び出されたのは、報道陣の目を避けるためだと思っていたそうですが・・・

西武へのトレードを通告される

田淵さんがホテル阪神に到着すると、大勢の報道陣が待ち構えていたそうで、田淵さんは、「夜中の2時なのに」と、暗澹(あんたん)たる思いで、部屋に入ると、

案の定、小津球団社長からは、

一度外の空気を吸ってこい。勉強してまた指導者として帰ってくればええやないか

と、西武へのトレードを通告されたのだそうです。

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記者会見では阪神球団への怒りを訴え最後は顔を覆って涙を流していた

そんな田淵さんは、その後、午前3時に、ホテル阪神の1階ロビーで記者会見を開くと、待ち構えていた数十人の記者を前に、

西武へ行けと言われた。それもいきなりだ。人をバカにしている。これが10年間、阪神でやってきた者への仕打ちなのか。情けないよ

今、何時だと思ってるんだ。こんな夜中にじっくり話し合えるわけがない。非常識すぎる。これがタイガースで10年やってきた者に対するやり方なのか。

(新監督のドン・)ブレイザーの構想に(自分が)入っていない。(西武の)根本監督はいい監督だから、西武で勉強しろということだった。阪神の無能をさらけ出している。オレを教育できなかったからほかへ出すと言っているようなもんだ。

結局商品に過ぎない。使うだけ使ってポイと捨てる。修理を考えない。過去のトレードもみんなそう。ホント冷たい球団だ。

と、語ったのですが、

阪神には、非常識にも、事前に一言の挨拶もなしにドラフトで1位指名してきたことから始まり、最後は、深夜に呼び出されて、さらし者にされたことへの怒りから、やがて、その声は涙声になり、沈黙が訪れると、手で顔を覆い、うなだれながら涙を流したのでした。

「田淵幸一が阪神からトレードに出された理由とは?」に続く


怒り心頭の中、記者の質問に答える田淵さん。


涙を流す田淵さん。

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