1950~1960年代、華麗な遊撃守備で、三塁手の三宅秀史選手、二塁手の鎌田実選手と共に、「黄金の内野陣」と呼ばれた、吉田義男(よしだ よしお)さんは、特に、投手のピンチを救うことができる「併殺」に、かなりの拘(こだわ)りを持っていたといいます。
「吉田義男は三宅秀史と鎌田実と共に「黄金の内野陣」と呼ばれていた!」からの続き
高校時代はピッチャーに憧れていた時期があった
会心の併殺プレーができた時には、観衆の反応が遅れ、一瞬の静寂があった後に大歓声が上がったそうで、吉田さんはこれが最高の快感だったそうですが、
野球をやった人なら誰でも一度は主役であるピッチャーに憧れるように、吉田さんも、高校時代には、ピッチャーがやりたくて、挑戦したことがあったといいます。
ただ、四死球を連発し、押し出しの失態まで見せるノーコンぶりだったそうで、潔く断念したそうです。
華麗な「併殺」で主役の投手を食えることに魅力を感じていた
こうして、野手に転向した吉田さんですが、脇役である野手でも、見事な併殺を完成させて投手のピンチを救うと、主役である投手を食えると考えたそうで、
(投手はどんなに力投して三振を取ってもアウトは一つも、野手は一度に2つのアウトを取ることができることから)
特に、二塁手と遊撃手は、二塁ベース上で走者を封殺しながら一塁へ送球するプレーにより、華麗な併殺の主役となることができ、そこに大きな魅力を感じたのだそうです。
(アメリカでは、二塁ベース上のこのプレーを「ファイン・アート」と呼ぶそうです)
一塁手の遠井吾郎に「もっとゆっくり投げて欲しい」と頼まれていた
ちなみに、打者が一塁へ到達するのに平均4秒前後かかることから、内野手はその4秒の間に捕球して一塁へ送球すれば間に合う計算になるのですが、吉田さんは、コンマ1秒でも早くアウトにしたいと思っていたそうで、打球が自分のところへ飛んできたら、できる限りホーム寄りで打者をアウトにしたいと考えていたそうですが、
「黄金の内野陣」と言われた内野の中で、一塁手の遠井吾郎選手だけは、唯一、お世辞にも守備がうまいとは言えなかったそうで、
遠井選手にはよく、
吉田さん、大変申し訳ないんですが、もっとゆっくり投げてもらえませんか。一塁ベースに入るのが、間に合わないんですよ
と、頼まれたそうです。
(もちろん、吉田さんも、遠井選手が間に合うギリギリのタイミングを見計らって送球してはいたそうですが、それでも間に合わなかったそうで、次第に、遠井選手は、一塁ベースの近いところで守るようになっていき、ますます守備範囲が狭くなったそうですが、それを、二塁手の鎌田実選手が何食わぬ顔でカバーしていたそうです)
「吉田義男が完成させた究極の2つの併殺(ダブルプレー)とは?」に続く